読売新聞東京本社論説委員・コラム『編集手帳』執筆者 竹内 政明
(第2810号・平成24年8月20日)
♪ 夏が来れば思い出す…という歌の文句ではないが、夏の終わりにきまって思い出す人がいる。正岡子規である。
新聞記者、とりわけコラム書きの生活は世の中まかせのところがあって、夏の行楽も例外ではない。今年のように 夏季五輪のある年は期間中に休むことはできないし、政局が動いて、あるいは大事件が起きて、計画していた家族旅行を直前に 取りやめたことも何度かある。
そのたびに、子規の歌を口ずさんでは心の慰めにしてきた。
人皆の箱根伊香保と遊ぶ日を庵にこもりて蝿殺すわれは
35年の短い生涯の、心身がもっとも躍動する青春期から若すぎる晩年までの日々を病床六尺で過ごした人にとって、山へ、 海へと皆が繰り出す夏はいまいましい季節であったに違いない。
人々が子規全集をひもといて心打たれるのは、しかし、もだえ苦しむ心情を赤裸々に吐露したくだりではないだろう。 そうした煩悶をときに蹴散らす快活な好奇心こそが真骨頂である。
亡くなる前年、ロンドン留学中の友・夏目漱石に手紙を書いている。〈僕ハモーダメニナッテシマッタ〉 〈生キテヰルノガ苦シイノダ〉。その同じ手紙に次の一節がある。〈倫敦ノ焼芋ノ味ハドンナカ聞キタイ〉
真砂なす数なき星の其中に吾に向ひて光る星あり
子規の命日9月17日を「糸瓜忌」という。今年は没後110年にあたる。
思えば、あの震災以降、程度の差こそあれ、日本人は病床の時を過ごしてきただろう。一人ひとりが傷を負い、 あるいはなにがしかの屈託を胸に抱きながら、いまを生きている。「ほら、見上げてごらん…」と夜空を指さすかのような 子規の歌が、今年ほどしみじみと胸に染みとおる夏の終わりはない。