読売新聞東京本社論説委員・コラム『編集手帳』執筆者 竹内 政明
(第2798号・平成24年4月23日)
吉野弘さんに『夢焼け』という詩がある。そういう言葉は辞書にはない。ない言葉を詩人はどうして思いついたか。
〈あるとき、どこかの文選工が活字を拾い違え/私の詩の表題「夕焼け」を「夢焼け」と誤植したから…〉
字の姿かたちはおよそ似ていないが、「夢」は部首「夕」に属している。印刷所の活字収納箱に隣り合って置かれていたことから生じたミスらしい。
ある人は〈夢焼け〉と聞いて、見果てぬ夢に胸を焦がす若者を思い浮かべるかも知れない。ある人は、描いてきた夢とは似ても似つかぬ厳しい現実に直面し、夢のヤケドに打ちひしがれた若者を連想するかも知れない。偶然から生まれた言葉だが、誤植で片づけてはもったいないような、かりそめならぬ響きがある。
この春、社会人の仲間入りをした若い人も、そろそろ職場に慣れてくる頃である。なかには、意に染まぬ仕事を割り振られ、あるいは人間関係に疲れ、「こんなはずじゃなかった」と、夢のヤケドを嘆いている人もいるに違いない。
野球評論家の野村克也さんは、南海ホークスに入団したプロ1年目のシーズンを「11打数ゼロ安打、5三振」の惨憺(さんたん)たる成績で終えている。
名優とうたわれた新国劇の島田正吾さんは、初めて自分の名前が載った新聞の劇評でただ1行、「観(み)るに堪えず」と斬り捨てられている。
〈夢焼け〉に身もだえし、人知れず涙した経験をもつ人を分野分野で挙げていけば、きりがあるまい。野村さんが夢のヤケドに嫌気が差して野球をやめていたら、「戦後初の三冠王」の大選手にして監督通算「1565勝」の名将は生まれていなかった。島田さんが酷評に絶望して演劇を捨てていたら、一人芝居『白野弁十郎』をはじめとする伝説の名舞台はなかった。
焼けただれ、一度は燃え尽きた灰のなかから、いっそうたくましくなってよみがえる。夢とはおそらく、そういうものだろう。どこかの、悩める人よ。