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「端」を支えることの意味

印刷用ページを表示する 掲載日:2009年11月2日更新

農村工学研究所研究員 坂本 誠 (第2698号・平成21年11月2日)

いま町村週報を手にとってこの拙文をお読みになっている皆様にお尋ねしたい。あなたの手は、どこに添えられているだろうか。片手持ち派、両手持ち派、あるいは左下端派、右下端派、左右下端派、左右辺派……流儀は数多あれど、その手は紙の端に添えられているのではないだろうか。このように、「面」を支えるときに、まずは端を支持するのが常である。

山口市郊外の仁保地区。昭和大合併まで仁保村を名乗っていた当地区に初めて道路舗装の話が持ち上がったのは、現在から30年ほど前のことだった。ただし、この年度に予算計上されたのは、わずか数百メートル分の舗装費。どの区間を舗装するかは、地区の判断に委ねられた。そして、このとき仁保地区が施工区間として選択したのは、地区内で最も奥にある集落の道路だった。

同様の話を、川根振興協議会の活動で知られる広島県安芸高田市川根地区でも聞いた。川根地区全域で圃場整備に取り組む際、地区が最初の工区として設定したのは、隣町との境に接する最奥の集落の農地だった。

いずれも、人口減・高齢化の波の中、地区を「面」として支えていくためには、最も条件の悪い末端の集落を支えることが不可欠だとの判断による。

この意味は、雪降り積もる時期に末端の集落を訪ねればよくわかる。集落に続く道路に分け入った直後は、無数の轍によって舗装面がほぼ露出しているが、途中の集落を1つ2つ過ぎるたびに轍の数は減り、末端の集落に達する頃には、ほぼまっさらな雪面に自ら轍をつけながら走らざるをえなくなる。末端集落の住民がつける轍が1つ手前の集落を支え、その集落住民のつける轍がもう1つ手前の集落を支えている。逆に考えれば、末端の集落が消滅すれば、1つ手前の集落が末端となることを意味する。端を守ることは、地域全体を守ることでもあるのだ。

人口減少社会への対応として、都市部に人や資源を集約せよとの論がある。しかし、38万平方キロに及ぶこの国土を、はたして中心「点」を支持するだけで守っていけるのだろうか。あるいは、この国を「面」として支えていくことはあきらめよということなのだろうか。いまこそ、仁保地区や川根地区の知恵に学ぶべき時のように思われる。