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庶民の願いと政治

印刷用ページを表示する 掲載日:2012年6月4日

東京大学名誉教授  大森 彌(第2802号・平成24年6月4日) 

無病息災・百事大吉は、日常生活での庶民のいつわらざる願いである。もちろん、そうなってほしいという 願うことと、現実のそうなることとは違うし、そうならないことのほうが多い。だから、いっそう、 平穏無事・万事順調であってほしいと思うのである。

無病というわけにはいかず、大抵の人は病を得て苦しむし、息災というわけにはいかず、事故・災難が いつ降りかからないとも限らない。不慮の事故にあうかもしれない。人生、すべての目論見が、いつもうまく 成就するとは限らない。運が向いているときも、ツキがない時もある。それは、賭け事をしなくとも、普通の 暮らしでも実感できる。吉を願って凶と出ることは稀でない。ツキすぎると、「大吉は凶に還る」と不安に なったりする。人事を尽くしても万事休すということもある。だから、健康管理も防災対策も怠ってはならず、 じっと我慢が世過ぎの知恵になる。神社仏閣では手を合わせて現世御利益を祈る。堅実と慎ましさこそ庶民の 暮らしの真骨頂である。

この庶民感覚からは、「政治家」の言動はわかりにくい。自己顕示欲と統制慾が強く、自分たちの言動が 庶民にとって「息災」でも「大吉」でもないことには気がついてないらしい。なにしろ、天下国家のために、 世のため人のために、嫌われ仕事に汗をかいていると自負しているからである。せめてもの救いは、政治家 たちは庶民から好かれも尊敬もされていないことに、うすうす気づいていることである。

政権を運営している大政党は政界遊泳に汲々とし、選挙での「大吉」が「凶」に還りつつあることに無頓着 のように見える。その打倒で小党を立ち上げる野心家たちは血気盛ん過ぎて信用できそうにない。どうも慎まし く暮らす庶民にとっては「災難」をもたらしそうに見える。「政治」は、日々の暮らしの平穏無事を願っている 庶民にとっては「おはらい」でもしたくなる「疫病神」にみえている。それでも、「あなたが政治に無関心でも、 政治はあなたを放さない」というのが政治学の格言である。慎ましい庶民の本当の怖さを政治家たちに知らせる以外 にないかもしれない。庶民の一票の威力を、である。