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市町村を「総合行政主体」として見るのをやめよ

印刷用ページを表示する 掲載日:2018年1月9日

市町村を「総合行政主体」として見るのをやめよ

東京大学名誉教授  大森 彌 (第2671号・平成20年3月2日)

第29次地方制度調査会専門小委員会は、「市町村合併を含む基礎自治体のあり方」についての審議・検討に入っている。提出資料では「合併促進運動は、合併新法期限の平成22年3月末までで終わりにすべきではないか」としているが、基礎自治体のあり方に関して「基礎自治体は、総合行政主体として、地域における事務をできる限り担うべきではないか」、「基礎自治体には、総合行政主体として、専門職員が十分に配置されている必要があるのではないか」という論点提示がなされている。これは問題である。

「総合行政主体」という見方は、地方自治法第1条の2第1項(「地方公共団体は、住民に福祉の増進を図ることを基本として、地域における行政を自主的かつ総合的に実施する役割を広く担うものとする。」)に係わっている。この条文は、自治体が自らの判断と責任で地域における行政を計画し実施することができ(自主的)、しかも、その行政を「バラバラ」にではなく、関係づけ一体的に実施する(総合的)という意味であるはずである。

これが、基礎自治体ならば、住民に必要なひとそろいの行政事務があって、それを自分の区域ですべてやらなければならない、そのためには、一定の行政体制を備えていなければならないといった意味に解釈するのはおかしい。

そうなると、全国の市町村が「総合行政主体」の姿に合致するまで合併を続けるか、「総合行政主体」に期待される事務を処理できなくなっている小規模な市町村を基礎自治体の性格を失いつつあると見て、別扱いにせざるをえなくなる。

「総合行政主体」という見方には、市町村を合規格、規格外に分け、国にとって管理しやすいように粒ぞろいにしていくという集権発想がひそんでいる。わが国の国土、歴史、地域事情などを素直に考えれば、地域の多様な姿に見合うように、いろいろな規模とタイプの自治体が存在し、それぞれに工夫して自治の営みを行っていることが自然である。「総合行政主体」は、この多様性の尊重とは相容れない。