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道州制と町村の存亡

印刷用ページを表示する 掲載日:2007年4月2日

東京大学名誉教授  大森 彌 (第2595号・平成19年4月2日)

道州の形態、圏域、権能、税財政制度などが定かでないにもかかわらず、道州制下の基礎自治体が、どのような規模で、どのような事務権限を担うことになるのかといった議論が行われ始めていることに強く危惧感を抱く。

第28次地制調の専門小委員会(平成17年6月27日)では、「現在の都道府県の事務のうち、特例市ないし中核市に移譲されている事務は、道州制の下では市町村が処理することとする」とされていたし、自民党道州制調査会「基礎的自治体に関する小委員会」(平成19年2月7日)でも、道州制下の基礎自治体は現在の中核市・特例市以上の行財政基盤を有する存在になることを検討するとしている。こうした発想で基礎自治体を整備しようとすれば、全国を約300の市に切り直す(人口規模ではほぼ20万以上になる)ことになるであろう。

かりに全国を一律に20万以上の人口規模で統合・再編しようとすれば、現在、それ以下の691の市のほとんどと1,022の町村のすべてを解消しなければならない。それには国は、自主合併の路線を放棄し、強制合併に踏み切らざるを得ないだろう。わが国の国土、歴史、地域事情などを考えれば、多様な基礎自治体が存在するほうが自然で、それを一律に人口規模で大くくり直すのは無理を超えて暴挙というものである。 

岐阜県高山市のように大合併で人口が3万増えて9万6千人になったが、面積が東京都に匹敵する2,177平方kmにもなった基礎自治体も生まれている。それを、まだ人口が20万に達しないから、もっと大くくりにせよ、というのであろうか。そんなことが不可能なことは、現在でも広大な面積の市町村が多い北海道を考えても明らかである。

このような道州制の導入が現実問題になれば、町村は、この日本から皆無になる。これは合併の是非どころの話ではなく存亡の危機である。自主合併で大都市自治体が増えるにしても、広域連合の活用や広域自治体としての道州の補完も十分考えられるにもかかわらず、人口規模で基礎自治体を一律に整備しようとすることは、認めがたい「政治的野望」といわざるをえない。