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大震災で考えたこと

印刷用ページを表示する 掲載日:2011年4月4日

コモンズ代表・ジャーナリスト 大江 正章 (第2755号・平成23年4月4日) 

東日本大震災で亡くなられた方々に心から哀悼の意を表するとともに、 壊滅的な被害を受けた被災者にお見舞い申し上げます。

地震・津波は天災だが、原発事故は人災である。また、福島第一原発は東京電力の発電所であるということを、はっきりさせておかなければならない。福島県民は、自らの生活には何ら寄与しない発電所を首都圏住民のために引き受けてきたのである。

さらに、時間が経つにつれて、経済への大きな影響が明らかになってきた。東北や北関東には自動車・電子・亜鉛・銅・製紙など、安い人件費や土地を求めてさまざまな工場が進出している。それらが操業停止を余儀なくされたからだ。

かつては出稼ぎや農村から都会への人口移動によって高度経済成長を担ったように、地方は常に豊かな都市生活を支えてきた。その象徴ともいえる東北が受けた打撃を少しでも軽くするために、都市住民は資金や物資を提供する義務がある。

原子力発電の是非については、意見が分かれている。ただ、今後は少なくとも首都圏住民のための原発は拒否するべきだろう。今回の震度や津波は想定外であり、今後は安全性が担保できるというのであれば、首都圏に建設すればいいではないか。

もうひとつ明らかになったのは、ガソリンと電気に依存した生活の脆弱さと、遠隔地域の原料や飼料なしには成り立たない産業のもろさだ。部品が供給されないために西日本の工場の操業が一時停止したり、家畜の餌不足や加温農業施設への影響が出ている。一方、交通手段が寸断された人びとの食生活を支えたのは直売所だった。地産地消の意義が再確認されたのである。

いまは緊急支援が必要なときだ。多くのボランティアの活動に敬意を表したい。そして、一段落したら、化石燃料とグローバリゼーションに過度に依存しない地域づくりへと舵を切り替えよう。日本の農山村には、持続可能な暮らしと生業が根付いてきたのだから。