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シマおこし

印刷用ページを表示する 掲載日:2016年5月16日

法政大学名誉教授 岡崎 昌之(第2959号・平成28年5月16日)

地域おこし協力隊への参加者が増えている。安倍首相は平成26年6月に「現在1千人の隊員を3年で3倍の3千人にする」と述べた。 平成27年度の隊員は約2,800人(田舎で働き隊含む)なので、宣言どおり今年度には3千人を超える可能性は高い。任期終了後も地域に定住する人が6割、うち2割は起業している。 そうした隊員を支援するためのビジネスアワード事業も始まる。

ところで“地域おこし”の“おこし”はどこからきたのか。実は昭和54年1月から6年間に渡って、沖縄県内各地で開催された「沖縄シマおこし研究交流会議」に、それは由来する。 沖縄県の先島諸島、つまり石垣、西表、竹富等から始まり、やがては本島の読谷村等でも開かれた。北海道池田町、愛媛県内子町、大分県湯布院町(当時)など、 本土でまちづくりを担う人たちと沖縄の現地の人びとが、議論し経験を交流する仕組みであった。

しかし当時、困ったことに“まちづくり”という言葉が沖縄では通じない。他に頼らず地域の価値を最大限に活かし、自立的に将来へ向かうことだと説明すると、 そのことなら八重山では“シマおこし”というと言われた。その頃、本土資本による土地の買い占め等に抗し、自ら地域づくりをすすめようとする、彼らのキーワードでもあった。

沖縄では“シマ”は離島のことでなく、地域、集落、邑を意味する。このことは元来沖縄に限ったことでなく、本土でも同様に使われてきた。 柳田国男が主著『島の人生』の中で詳述している。沖縄の在野の民俗学者、佐喜眞興英の『シマの話』も興味深い。

“おこし”とは異変や危機に気づいた人が、周りに呼びかけ、本来の地域のあり方に向けて、行動に移すという意味合いだ。これを本土に持ち帰り、 ムラおこしと言い換え一村一品運動などに使ったのが由布院の人たちであった。これが地域おこし、まちおこし、産業おこしへと広がっていった。

地方創生もこれからが正念場だ。派手な施策を競うのでなく、集落や邑の視点から、迫ろうとする危機を見据え、しっかりと地域課題に立ち向かうべきではなかろうか。