法政大学教授 岡崎 昌之(第2904号・平成27年1月12日)
紀伊半島南部の熊野古道は、世界遺産にも指定され、多くの参詣の人々で賑わっている。平成25 年には伊勢神宮の式年遷宮が20年ぶりに行われ、このことも相まって、 ここ数年は訪れるひとが急増している。多くの参詣者を迎えて、この地域でのまちづくりの取り組みも盛んとなっている。
三重県側の熊野古道を歩いてみても、旧紀和町の丸山千枚田は、関係者の努力が実り、見事によみがえってきた。江戸時代には二千枚を超えるといわれた丸山の棚田は、 平成初期には耕作放棄や植林で530枚までに減少した。しかし棚田保存会が結成され、現在は1300枚を超えるほどに復田された。
熊野古道は山中ばかりではない。川の古道と呼ばれるのが、和歌山県との境を流れる急流熊野川である。中流にある熊野本宮大社と下流の速玉大社を結ぶ川の参詣道と呼ばれた。 後白河法皇や後鳥羽上皇も頻繁にここを通ったと伝えられる。この熊野川の中下流は参詣だけでなく、木材や炭、石炭、生活物資を運ぶ水上交通も盛んで、川舟が多く利用されていたが、 昭和30年代には舟運はその役割を終えた。
しかし熊野川と共に生き、暮らしてきた三重県最南端の紀宝町の有志は、熊野川独特の川舟を現代に受け継ぎ、川と向き合う生活を取り戻そうと、流域唯一の川舟の船大工、 谷上嘉一さんを塾長に「熊野川体感塾」を結成した。再興された三反帆(さんだんぼ)の川舟は、幅1メートル弱の帆布を3枚、高さ6メートルほどの帆柱から掲げ、風をとらえて進む。 強すぎる風は帆の間から逃し、海からの風を受けると、上流に向かって進むこともできる。激しい流れに対応するため、船首は美しく反り返り、船底は平らで数センチの浅瀬にも乗り入れることができる。
高く3枚の帆を掲げ、川面を滑るように進む三反帆の川舟の姿は実に優雅である。体感塾メンバーによる熊野川ツアーは、現代の我々が見落としがちな川からの視点を提起してくれる。 山中の苔むした石畳の熊野古道とはまた異なる、自然と一体化した祈りの道を川から感じることができる。