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村のど真ん中に先進農業を

印刷用ページを表示する 掲載日:2012年10月29日更新

法政大学教授 岡崎 昌之(第2818号・平成24年10月29日)

読谷村は沖縄本島の中部に位置する。東シナ海に突き出すような残波岬を嘴とすると、村域はまるで鳳凰が西に向かって飛び立とうとする姿に似ている。だが昭和20年4月、 米軍は読谷村の浜から沖縄へ上陸し、最初の戦闘地点となった。40年前には、73%が米軍基地のままで本土復帰となっている。いまだに36%近くが基地のまま。

村の中心部に位置する読谷補助飛行場では、粘り強い交渉で日米共同使用という名目のもと平和の森球場が設置され、その後、基地の中の役場として有名となった地上3階地下1階の 読谷村役場が建設された。2006年には飛行場は返還され、現在では読谷中学校もここに開校し、村の行政、文化の中心となっている。今春で人口も4万人をこえた。

これら中心施設を取り巻くように、現在、村のど真ん中で整備が進んでいるのが、100ヘクタール強の先進農業集団地区である。前もって整備が進んだ先進農業支援センターでは、 猛烈な台風にも耐えうるビニールハウスも建設され、やがてはリーダーとなる農業就業者15名の育成が進んでいる。従事者が高齢化し収入も減少しているサトウキビに代わって、 栽培は難しいが本土の端境期もねらえ、高値で出荷できる小菊、インゲン、マンゴーなどを読谷村ブランドの農産物とするべく、取組みも始まり、計画もすすんでいる。 すっかり読谷の特産となった紅イモも、バイオ技術の導入により、苗の改良が進んでいる。

後に人間国宝となる陶芸家、金城次郎さんを人材誘致したことに始まるやちむんの里(焼き物の里)は沖縄最大の窯場となった。読谷山花織の與那覇貞さん、紅型の玉那覇有公さんなど 読谷村にゆかりのある人間国宝は3人にも及ぶ。秋には小学生からお年寄りまで村民総出の文化祭「読谷まつり」も毎年開催される。文化の村おこしが読谷の基本だ。

先進農業集団地区の整備状況を役場の展望塔から見ていると、一部で深く掘りこんでいる部分が目に付いた。聞いてみると、米軍上陸時の不発弾探知のため、掘り下げ検査の後、 農場整備に入るという。こうした苦労のうえに新しい読谷農業が花開くことを期待したい。