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姉妹都市盟約の絆

印刷用ページを表示する 掲載日:2011年11月7日

法政大学教授 岡崎 昌之(第2779号・平成23年11月7日)

東日本大震災の発災当初、国や県は十分に機能せず、東北地方で被災した多くの市町村にとって、最も頼りになったのは、日頃から交流を積み重ねていた友好都市や姉妹都市からの救援であったという。愛媛県内子町は平成17年に、町並み保存や道の駅“からり”でまちづくりを進める内子町、小田川を活かした五十崎町、美しい棚田をもつ小田町の3町が合併し、新しく誕生した。

この内子町が9月に姉妹都市を締結した。そんなことは珍しくもない、と思われるかもしれないが、姉妹都市の相手が海外の町。それでも驚くほどではない?しかしその相手はドイツ・バイエルン州のローテンブルク市。ヨーロッパでも有数の町並み保存を進める都市として著名だ。

昭和61(1986)年、内子シンポジウム「まち・暮らし・歴史」に、当時の市長オスカー・シューバルト氏を招き、ローテンブルク市の町並み保存や観光政策の報告を受けた。翌年すぐ、内子町では町長や町民有志が同市を訪れ、交流が始まった。それ以来、ほぼ毎年、20名ほどの子供達が相互に交流しホームステイを経験、首長や議員、職員の相互訪問と派遣もしてきた。2005年には90名近い内子町民がローテンブルク市に乗り込み、伝統工芸、伝統文化の提示など、大規模な内子フェアの開催もおこなった。

ドイツやイギリスでは、友好都市の締結は珍しいことではないが、姉妹都市盟約にはかなり慎重だ。ローテンブルク市の姉妹都市も、これまでは永くフランス・アティスモン市、ロシア・ススダル市だけであったが、今回初めてアジアの町として内子町と姉妹都市盟約を結んだ。

こうした交流の背景には、町並みや村並みの保存、道の駅“からり”を核とした農業再生など、地道だが地域の文化や個性に立脚したまちづくりがある。

今年15 回を迎えた内子座文楽もその一つだ。毎年8月下旬の二日間、大正5年に創建された内子座で、人間国宝の人形遣い吉田文雀氏らも参加する本格的な文楽である。今年の演目は「生写朝顔話」であったが、450人も入れば満席になる古い内子座は、その狭さゆえ、舞台と客席が一体となった、涙と笑いの熱気あふれる文楽であった。

ゆるキャラやB級グルメといった手法を越えた、品があり、持続的で、文化の薫り高いまちづくりを、全国に期待したい。