法政大学教授 岡崎 昌之(第2721号・平成22年5月31日)
ワーキングホリデーの運営など、高い評価のまちづくりを展開する宮崎県西米良村を訪れた。県中西部に位置し、熊本県球磨地方に隣接する山間部だ。丁度、エドヒガン桜が険しい山肌にポツポツと咲き始め、濃いピンクのイワツツジが真っ盛りの季節だった。西米良村は明治22年の市制町村制施行以来、市町村合併はせず、単独で村を守ってきた。
平成9年、全国に先駆けてワーキングホリデー制度を取り入れ、交流人口の拡大につとめ、Iターン者も増えている。中核施設の西米良温泉もユニークだ。3セク「米良の庄」が経営し、村内の高齢者や若者が自主的に風呂掃除に参加する。当日は、バリアフリー化の改装完成記念で、村民に無料で解放され、賑わっていた。村のおばあちゃんたちが、生涯現役の意気込みで、食事や特産品を販売する川の駅「百菜(さい)屋」も活き活きとしている。
新しい取組みが村内の小川地区で始まった「平成の桃源郷・おがわ作小屋村」だ。狭い山道(しかし国道、黒木定蔵村長いわく“酷”道)を、役場から約10キロ進むと、忽然と開け、集落が現れる。ここが小川地区で、室町から江戸時代にかけて領主菊池氏が拠点とした一帯である。菊池公は大政奉還時、所有していた領地を均等に領民に分け与えた。自分の土地を持つことになった領民は、開墾に励み、自宅から離れた場所には、農作業小屋として作小屋を作った。やがてはこれが隠居屋となるなど、独特の生活形態が築かれた。これを現代に再現したのが「おがわ作小屋村」で、農家レストランや特産品の売店も兼ねている。
400年に渡った菊池氏の統治時代、この山中にありながら、村民子弟全てを藩校、弘文館に通わせ「貧しさに耐えながらも文武を怠らず、礼節を重んじ、国家社会に尽くす」の教えを残した。現在もその“菊池精神”は村内に息づいている。
平成17年には台風14号で甚大な被害を受け、外部との交通も長期間途絶した。こうした困難に当面したとき、また新しいことに取り組むとき、常に立ち返るのは現在でもこの〝菊池精神〝だという。将来を構想するとき、地域の過去に立ち返ることが、まちづくりの基本だということを教えてくれる。