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横田の決意

印刷用ページを表示する 掲載日:2010年3月1日

法政大学教授 岡崎 昌之 (第2711号・平成22年3月1日)

福島県金山町横田地区は、只見川に沿って開けた典型的な中山間地域だ。古くは若松の芦名氏、田島の長沼氏他と共に会津四家と呼ばれた山ノ内氏が、横田を拠点にして、南会津にあたる金山谷一帯を治めた。江戸時代に入る直前、伊達政宗と激しく戦ったが、横田の所領は没収された。だがその後、江戸時代を通じて、農民の身でありながら刀を所持し、武術の稽古を怠らない千人の武闘集団が、ここに幕末まで続いた(栗城正義「忠誠日本一」)。

明治から昭和にかけては、鉱山開発や只見川の水力発電開発で、工事関係者も多く出入りし、随分と賑わった。しかし過疎化、少子化はこの地区にも押し寄せ、高齢者一人世帯も増える一方、空き家も目立つようになってきた。住民の教育、文化活動の拠点であった横田中学校は、とうとう平成21年3月で閉鎖、廃校となった。

この窮状を何とか住民の手で押し留め、再生の道を探ろうと、平成18年8月に「横田地域を考える会」(滝沢澄夫会長)が結成された。地域資源発掘ワークショップ、ブナ林(癒しの森)整備、農産物販売所(四季彩の駅)開設などに取り組んできたが、なかなか成果はあがらない。そこで今年度は、まちづくり元気塾(東北電力)により、赤カボチャなど地域産品を活用した食文化や特産品の開発、軽トラを利用したレストラン運営、地域の暮しと密着した癒しの森活用方策、農家民泊の準備、閉鎖した中学校施設の活用など、住民と専門家がともに、現場に足を運び、議論と実践を数多く積み重ね、地区再生の道を模索した。

塾の最終回には、考える会発足時の趣意書に立ち戻った。そこには「過疎だ、高齢化だと、いくら愚痴を言っても始まらない。生まれ育ったふるさと“横田”は一生ついて回る」と記してあった。この一文は地域の特性をよく言い当てている。ヨーロッパでは自分の生まれた国は形や名称を変えたところも多い。道州制の議論は現在の都道府県の姿を変えかねない。しかし国や県はいくら変わっても、自分が生まれた集落、育った地域は、永久に変わらない。ならば横田の生き残りをかけて、具体的に行動を起こそうと、横田の人びとは決意を固めたわけだ。