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ブナ北限の里づくり

印刷用ページを表示する 掲載日:1999年9月13日

福井県立大学教授 岡崎 昌之 (第2286号・平成11年9月13日)

ブナ林は九州から本州全域に広く分布し、縄文文化を育んだ森として、日本人に古くから親しまれてきた。また“ナ林は傘いらず“とか“緑のダム”とも呼ばれ、その保水力や空気清浄機能も高く評価されている。大木のブナではあるが、その森の中は意外と明るく、清流や森の芳香を楽しみながら歩くのは格好の自然探索になる。

このブナ林の北限が、津軽海峡を越えた北海道渡島半島の黒松内町にあると聞いて出かけた。町内市街地から約二キロの歌才ブナ林で、道道から少し分け入った標高10~160メートルの丘陵地帯に、92ヘクタール、1万本のブナが自生している。なぜ津軽海峡を越えて、ここだけに自生しているかは、多くの説があり定かではない。昭和3年には国の天然記念物にも指定されている。

黒松内町は濃霧地帯で畑作は成り立ちにくい。多くは酪農に依存しているが、その経営はご多分にもれず苦しい。町内の若い人たちが集まり、黒松内を何とかしようと知恵を絞り行き着いたのが、この北限のブナ林であった。戦中戦後、2度の伐採計画もあったが、町の人々の意思で残してきた。ブナは町のアイデンティティである。

歌才自然の家、ブナセンター、食と健康館トワ・ヴェール、温泉館ぶなの森など、着々と施設整備も進めた。いずれもブナをはじめとする黒松内の自然を、きちんと真ん中に据えた都市農村交流の拠点施設としての性格を明確にした。ブナセンターが主催する“週末田舎人”には札幌市民が多数参加し、黒松内の自然環境を満喫するリピーターとなっている。以前はお土産も無かったが、特産のもち米で作ったお酒や焼酎、ハムやチーズの特産品も出来てきた。少しずつではあるが交流人口も増え始め、10万人を越えるようになった。しかし黒松内の自然環境を考慮すれば10万人の交流人口が適正規模で、これを20万人にしようとは考えていない。

ブナは木偏に無「■」と書く。やや腐り易く用材としては使いにくいからだろう。しかし黒松内町にとっては貴重な存在だ。地元小学生の発案で、黒松内ではブナを木偏に貴い「●」と書く。