明治大学教授 小田切 徳美(第2732号・平成22年9月6日)
読者はお気づきであろうか。最近、あれだけ騒がれた「限界集落」という言葉のマスコミに登場する回数が少なくなっている。
例えば、日本経済新聞で、2000年以降の記事を対象に「限界集落」を検索してみると、2007年に突然31回も登場し(7~12月の後半期で28回)、2008年には62回に倍増する。しかし、それ以降は急速に減少し、2009年には23回、そして本年は六月末までの登場回数はわずか5回にすぎない。確かに、マスコミの中で「限界集落」は消えつつある。
この言葉について、それを使う文脈や定義を批判してきた筆者としては喜ばしいことである。筆者が特に問題としたのは、「限界集落」ばかりを強調する「限界集落一点豪華主義」は、程度の差はあれ同質の課題をもつ農山村全体への関心の拡がりを妨げる可能性もある点である。「限界」という言葉の力により、農山村の現実が見えづらくなることが危惧される。また、全国一律に、高齢化率50%以上をもって、「限界集落」としてしまうのは、レッテル貼り以外のなにものでもない。
しかし、マスコミはそうしたことを配慮してこの言葉の使用を控えたのであろうか。そうではなさそうである。そもそも、この言葉が2007年、しかもその後半に急に登場したのは、その年の7月の参議院選挙が引き金となっている。そこでは、小泉構造改革路線以来の地域間格差の是正が選挙の争点となった。そして、その選挙で大敗した当時の与党・自民党は、大きく地方再生路線にハンドルを切り、その象徴として「限界集落問題」とその対策がいろいろな場で論じられたのである。
しかし、この現象は一時的なものに過ぎなかったわけである。昨年の衆議院選挙、そして今年の参議院選挙でも、地域間格差の問題が同じように争点となることはなかった。先の新聞記事の検索結果に如実に現れているように、この言葉の登場もおのずから減少している。政治的には、「限界集落問題」は忘れ去られつつあり、「『限界集落問題』バブル」ははじけたのである。
この言葉が、マスコミに登場しなくなったことは望ましい。しかし、忘れ去られることは大いに問題である。