東京大学名誉教授 西川 治 (第2360号・平成13年6月18日)
大相撲史に残る希有の千秋楽、「勝つより負くるは難し」との“角言”が生まれた。招待ゴルフやマージャンならいざ知らず、衆目の焦点における至難の駆け引き。ともかく万人が納得する首尾となり、まずはめでたし。決して怪我の功名とは言うまい。そもそも怪我とは当て字だが、我も土俵も汚すことなく、観衆の心を打った両横綱に敬意を表したい。
相撲の語源は、すまふ(争ふ)である。“すまいの節(せち)”は、古代から秋に宮廷で催された。日本書紀によると、たいそう力自慢の当麻蹶速(たぎまのくえはや)が、なんとかして強力な者と遇って、死生をいわず力くらべをしたい、と言うので、それを聞かれた垂仁天皇(すいにんてんのう)は、出雲から野見宿(のみのすくね)を連れてこさせて、“すまいとらせた”。二人は互いに足をあげて蹴りあった。宿は蹶速の脇骨を踏み砕き、腰を踏み折って殺してしまった。何か、大陸伝来の角技といった烈しさを感じる。しかしその後、相撲の取り方は洗練を重ねて、今日のような国技となった。
八百長の語は比較的新しいようだ。明治初年、八百屋の長兵衛は、ある相撲の年寄とよく碁を打ったが、勝てる腕を持ちながら常に一勝一敗となるように、うまくあしらった。それから転じて馴合いの勝負を意味するようになった由である。
私は若いころ、ときどき幼い甥の相撲相手をさせられた。勝ち気な子だったので、少々鍛えてやろうと思い、容赦なく何度も負かすと、ひどく怒ったので手にあまり、ぐいと押さえ込んでしまった。すると、「大人なんだから一度ぐらい負けてくれてもよいだろう」と泣き叫ばれて、はっと思わず体を起こした。
今ではその負い目を伏せて“老いては甥に従え”とばかり、英文学者の彼に時折教えをうけている。「譲るは時として成功する最善の道なり」と。
Yielding is sometimes the best way of succeeding.