東京大学名誉教授 西川 治 (第2308号・平成12年3月27日)
リストラの嵐おさまらず、春なお寒き世紀末。「帰りなんいざ、田園まさに蕪(あ)れなんとす。なんぞ帰らざる」。陶淵明(365~427)の有名な詩句は、はるかな時空間をこえて今なおわれわれの共感を誘う。
幕末には豊後の科学者帆足万里(1778~1852)がその名著『東潜夫論』において、「太平二百年、民は遊逸を好むゆえ、山中の民は日々に減じ、三都、諸侯城下の民日々に倍す。是よろしからぬこうことなり。山中の民口は100年の前に比すれば半を減ず」と慨嘆、士族も城下外に土着させるよう建策した。
下って明治の末、近代化による向都離村対策として、“花園農村”、新農村などの提唱も盛んになり、1907年には早くもE・ハワードの“ガーデンシティ論”を紹介した『田園都市』(内務省地方局有志編纂)が刊行された。
富山県下新川郡の朝日町に舟川新という計画的路村がある。これは明治30年代に地元の開明的な青年、藤井十三郎と山崎市次郎とが、創意と指導力を発揮して50戸ほどの散居村から全戸移転させて見事な新村落への集住化に成功した希有な例であり、近代農村史上の記念すべき史跡でもある。詳細は『水土を拓いた人びと』(農文協刊)を参照されたい。
次の事例も忘れがたい。過疎問題がさらに深刻化した昭和40年ごろに、某大手電機会社の労組は、地元の協力をえて丹波篠山盆地の北側丘陵地に総合的なレクリエーションランドを開発した。その多様な地形を巧みに活かして田・畑・果樹園・牧場や、学習・研修・スポーツ・宿泊などの諸施設が計画的に配置されたのである。
此度は日本労働組合連合会が、100万人の故郷回帰運動に乗り出すとの報道に接した。『食料・農林漁業・環境フォーラム』が実行委員会を設立して4月から実施に入る由。一国策銀行の救済に何兆円も投入した政府には、こうしたプロジェクトにもそれ以上の財政的支援を要求しようではないか。