東京大学名誉教授 西川 治 (第2294号・平成11年11月15日)
求めよ、さらば与えられん。キーを叩け、さらば現れん。何事もたやすく得られるようになると、それだけ物の有難みが薄れるし、入手しがたい本物への追求心も弱まるにちがいない。近ごろ学力の低下を嘆く声も高いが、もっと心配なのは、探求心、判別力、推理力、総合力など基本的な知力の衰弱である。
筆者はようやく還暦後の14歳、再青春期の知識欲は、生理機能の衰えとは反対に高まる一方である。それも、インターネットを通しては到底得られぬ情報ゆえに、その手掛りを掴むにも苦労する。
数年前のことになるが、大正6年岩波書店より刊行された不朽の大著『伊能忠敬』(理学博士長岡半太郎監修、理学士大谷亮吉編著、帝国学士院蔵版、B5判766ページ)を繙きながら、そもそも大谷亮吉とはいかなる人物かと調べ尋ねあぐねていた。
折しも旧制高校の向陵懇話会で「日本人の国土観とその変遷」について講演する機会に恵まれた。それに先立ち、先輩の行事委員長に昼食を馳走して頂いたさい、「貴方は地理学者だから、大谷亮吉を知っているか」と訊かれて、えっと驚き、「実は目下、最も知りたい人物です」と、その理由を説明するやいなや、「私の家内はその末娘です。」まさにびっくり仰天、これぞ人脈の妙、見えざる御手の引合せかと、ただただ先輩のお顔を見詰めるばかり、生涯にも希な深い感動の一瞬であった。
それから間もなく、先輩の奥方とその令兄から、亡き御両親の思い出や、ご経歴等について、真に貴重な情報を提供して頂けた。しかし同時に自らの不明と怠慢を恥じねばならなかった。なんと大谷先生は、明治28年第1高等学校理科の第1回卒業生、私どもの大先輩であり、同窓生名簿には大阪高校教授、京都大学理学部教授と記されている。最初の手掛りは手元にあったわけだが、やはり切なる求めに応じてくれたのは、生きた人間関係であった。