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思考の器が大きな人が一番遠くまで行く

印刷用ページを表示する 掲載日:2014年3月31日

筑波大学名誉教授 村上 和雄(第2874号・平成26年3月31日)

日本で最初にノーベル賞を受けた中間子理論の湯川秀樹先生は、世界的な名声を得た以降も、ご自分の「凡才」ぶりに悩んでいたそうです。

私の恩師の一人で、京都大学の学長も務めた平澤興先生が、親友の間柄であった湯川先生に、「私は頭の回転が遅くて困っている」と打ち明けると、 湯川先生は「私はあなた以上にそのことで困っています」とこぼされた。

これは謙遜などではなく、お二人とも本心を吐露しあっていたのだと思います。いずれもご自身のことを決して頭がいい人間だとは考えておらず、むしろ鈍い方だと思っておられた。

このことはとりもなおさず、お二人が偏差値秀才ではないことを示しています。与えられた問題から最速で答えを導き出す。そういう頭の回転の速さや鋭さにおいては、 お二人よりも優れた人は沢山いたのでしょう。その点で、お二人は頭の鈍さを自認しておられた。

しかし、お二人の頭脳は鈍いかも知れないが、その分「大きくて深い」のです。速やかに一直線に解答にたどり着く、そういう秀才的かしこさには欠けていても、大きな回路をたどりながら、 根っこからさらうように深く物事を考える力が人並み外れていた。いわば思考の器が大きい「大鈍才」なのです。

湯川先生に限らず、本当に優秀な人間には、さわれば切られるような鋭い人はむしろ少数派で、どこか大器晩成型の鋭さを持ち合わせた人間が多いものです。

安っぽくものごとを考えず、早わかりしない。鈍で重だが、深く大きく思考する。そうした人が遠回りをしながらも、確かな成果をあげ、時間はかかるけれど、一番遠くまで行くのは、 科学の世界に限らず、決して珍しいことではありません。東日本の大震災後、ボランティアで大活躍した学生は、心優しく、決して偏差値の優れた学生ではなかったと聞いています。

格言にもあるとおり、ゆっくり行く人が一番遠くまで行くのです。