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集落ネットワーク圏の意義の共有を

印刷用ページを表示する 掲載日:2015年6月15日

早稲田大学教授 宮口 侗廸  (第2922号・平成27年6月15日)

 去る3月末、過疎地域等における今後の集落対策のあり方について、総務省過疎問題懇談会からの「集落ネットワーク圏の形成」に関する提言が公表された。これは平成25年度末から、 同懇談会の下に筆者を座長とするワーキンググループをつくり、そこでの調査と検討をもとに提案されたものである。 グループには、「地方消滅」論に対して積極的に反論しておられる小田切徳美・山下祐介両氏にも加わってもらった。

 筆者は最近あるマスコミから、「過疎対策に今まで相当のお金が投じられてきたが、その成果を一言で」という取材を受け、「それは農山村・離島を含め、 日本の隅々の集落でお年寄りが元気に暮らしておられることだ」と答えた。人口減少率や高齢化率という数字だけ見ていると、悲惨な状況を思い浮かべることになるかもしれないが、実際に地域を訪れると、 80歳を過ぎておいしい野菜を直売所に出荷している元気なお年寄りに、いくらでも出会うことができる。

 そのような暮らしを支えてきたのが集落であるが、さすがに近年、世帯数の減少と高齢化の流れの中で、商店の閉鎖、公共交通の空白化などが目立つようになってきた。これに対し、 集落の持続可能性を強めるために、集落を超えてなお住民の一体性が強い小学校区などを単位として支え合う集落の連携システムの意義を強く指摘したのが、今回の提案である。 具体的には基幹集落を中心にした生活サポートシステムの構築をすすめるということであるが、ネットワークという言葉を使ったのは、あくまでそれぞれの集落の存続が前提であって、 拠点のみを栄えさせるというように誤解されないためである。

 今回の調査で、すでに何らかのネットワーク圏を形成している例の多くが新旧小学校区であった。振り返ってみると、わが国の近代以降の発展をつくった基盤は、明治初期に、 極めて短期間に全国の津々浦々に小学校がつくられたことにあると言っていい。自前で校舎を建てた農山村も多く、集落を超えて資材と人のパワーを結集した実績が遠い過去にあるのである。 あらためてこの時代に、暮らしを支える集落ネットワーク圏の意義をそれぞれの地域で共有していただきたい。そしてその中で、身の丈に合った、地域資源を活かした「なりわい」の継承・創出が生まれれば、 それこそが都市では生まれない地域社会の価値である。