ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
トップページ > コラム・論説 > 離島の高校にエール

離島の高校にエール

印刷用ページを表示する 掲載日:2013年1月14日

早稲田大学教授 宮口 侗廸  (第2825号・平成25年1月14日)

昨12月中旬、初めて鹿児島県与論島を訪れる機会があった。こちらから見れば沖縄本島の一つ手前の島で、奄美群島最南端の地である。島は与論町の一町からなり、 面積は約20k㎡、人口は約5500人足らずの島である。筆者はこのところ過疎地域における高校の存在意義についてささやかな研究費を確保して実態調査を行っており、 すでにこの欄でも、島根県海士町の隠岐島前高校について語らせてもらった。過疎地域の中でも離島にあっては、通学条件が陸路とは大違いであり、 高校があるかないかは大変な問題である。

幸い与論町には県立の与論高校があり、貴重な役割を果たしてきた。昭和42年に奄美大島の大島高校の分校としてスタートし、同46年には県立与論高校として独立した。 中学も与論中学一校であり、その生徒のほとんどが進学する高校として、町教育委員会との協力のもとに取組みが推進され、平成18年に正式に連携型中高一貫校となったのは いわば自然の成り行きであった。

生徒数は1学年50人強で、2クラスを何とか確保してきたのがこの数年の推移であるが、この5年間、この高校は驚くべき進学成績の上昇を実現してきた。 なんと国公立大学に15人程度の進学者を出しているのである。中学からの入試は、「ユンヌ(与論)学」といういわば地元にかかわるレポートと面接でほぼ全員入学で あるから、学力の格差は大きい。この中でこれだけの成績を挙げるには、卓抜した教育体制がなければあり得ない。

伺えば、朝7時30分からの朝課外授業、そして80分2コマの放課後課外授業には生徒全員が参加し、教員の熱意に応えている。これらの動きが地元での信頼を育て、 かつては本土に進学していたような優秀な生徒が島にとどまるようになったことも、進学成績を押し上げた。ついていけない生徒のために中高の先生が二人で教える 授業もある。先生方は大変かもしれないが、離島の宿舎生活のなかで、このように張り切って働くことが教員自らの成長に資することも、間違いないであろう。 閉塞感の漂うわが国の中で、このように人の活力を育てる場があることを多くの人に知って欲しい。そして離島の高校に心からのエールを送りたい。