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海士町と隠岐島前高校

印刷用ページを表示する 掲載日:2011年10月3日

早稲田大学教授 宮口 侗廸  (第2775号・平成23年10月3日)

この9月、島根県隠岐の海士(あま)町を訪れた。隠岐は本土よりの島々を島前(どうぜん)と呼び、最大の隠岐の島を島後(どうご)と呼ぶ。そして島前の中ノ島にある海士町は、山内道雄町長のもとで数々の活性化策を実らせてきた。町長には、「離島発 生き残るための10の戦略」という著書もある。離島のきびしい出荷条件を克服するために、細胞を活かしたまま冷凍できるCASという設備をいち早く導入、水産物の大都市への出荷が可能になる一方で、ブランド隠岐牛が育成されるなど、「島のまるごとブランド化」が着々と進行してきた。

そして、「島が生き残る」とは「人が島で暮らすこと」の信念のもと、山内町長はUIターン者の誘引と子育て支援に画期的な施策を展開してきた。商品開発研修生として全国の若者を募り、東京から学生たちをバスで海士に運ぶ「AMAワゴン」事業も実践した。いま海士町には多数のIターンの若者が住み着いている。

3年前、松江での会議の後、念願かなって海士町を訪ねることができたが、その折町長から、海士町にある隠岐島前高校が生徒数の減少により学年1クラスに減らされ、なお定員に満たないこと。もし高校がなくなれば、それは島で暮らす人の激減につながり、持続可能なまちづくりの挑戦は水泡に帰すこと。これを解決するためには、島外から生徒が来るような魅力化を自ら進めなければならないことなどを、熱く語っていただいた。

町は寮費全額と食費を補助するだけではなく、高校の魅力化プロジェクトをIターンの若者を中心に立ち上げ、予備校指導歴のある講師が学習指導する公営塾「隠岐國学習センター」を開設した。高校では国立大学合格を誇る特進コースのみならず、地域創造コースを設けて地域の未来を切り拓く人材を育成しようとしている。離島の特殊性を認めるよう訴えを続けつつも、そこには独自の解決への気概が満ち満ちている。

この結果、今年度には定員を超える応募があり、新入生の3分の1は東京や大阪を始めとする島外からの生徒であった。今年6月の東京での説明会に50人が集まり、8月のオープンスクールには60人の参加があった。そして県教委は、筆者の訪問の翌週、来年度から島前高校を2クラスに戻すことを正式決定した。Iターン者との協働による驚くべき成果である。

筆者は前回の海士町での学びから、過疎地域における高校の存続の意義について考えるための研究を思い立った。今回の海士町再訪はその一環であったが、意義深い成果に出会い、CASの岩ガキの味わいとともに、この上なく嬉しい旅と相成った。