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北タイで森を語る

印刷用ページを表示する 掲載日:2006年4月24日

早稲田大学教授 宮口 侗廸  (第2558号・平成18年4月24日)

この3月、タイ北部のチェンマイに住む木村茂君を訪ねた。彼は、かつて筆者のゼミで学び、卒論は北タイの村の生活誌だった。ラフ族の会話集を発刊して朝日新聞の「ひと」欄に載ったこともある。その後大阪の私大の助教授になったがタイの農村への思い止まず、辞してタイでのNGO活動に参加、さらにチェンマイで2004年1月に、村人と共に森を守るNPO的団体、「Link.森と水と人をつなぐ会.」を設立した。

タイでは、組織的な盗伐を含む乱伐が余りにも森を荒廃させ、雨季の洪水と乾季の水不足が日常茶飯事となったため、ようやく森林保護政策が導入された。そして、森林局が現実に森林を管理することが困難なことから、村人による森の管理と、再生可能な範囲での資源の利用を認める「共有林」を新たに認定することになった。

タイでも、山村の暮らしは、農地によるだけではなく背後の森の恵みによって成り立っていた。かつてのわが国の農山村が強力な地域社会として生き続けてきた背景には、背後に共有林(入会林野)の存在があったことを忘れてはならない。ここからは多彩な食材に加え、薪や肥料(落葉)が得られた。今回訪れた村も、住民の10年近い森林保護活動によって川に水が戻り、乾季の直後にもかかわらず、水をたたえた堰を見ることができた。

木村君たちは正確な地形図を手に入れ、等高線に合わせてボール紙を切り、上流域の大きな立体地図をつくることを提案した。これは共有林認定の申請に役立ったばかりではなく、この作業を通じて、民族が異なる集落が点在する上流域の住民の連携が生まれた。押し付けではなく、あくまで住民主体の活動を盛り立てているところがすばらしい。

今回は日本の農山村の写真を持参し、村の集会所でミニ講義をするよう、木村君に頼まれていた。日本では裏山がもともと共有林で、その森を守ってきたことが日本の農山村の暮らしを支えてきたこと、そして今、都市化が進む日本でどんな農村再生の活動があるかについて、木村君の通訳で話したところ、大きなビルと工場しかない日本を思っていた村人たちが目を輝かして聞いてくれた。しかしチェンマイへ帰る3時間ほどの深夜の道中、闇に浮かぶ不気味な山火事の火の帯をいくつも見て、あらためてアジアの農村の再生の困難さを思い、そしてそれに貢献しようとする気高い日本人のいることを心底嬉しく思った。