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都市の持つ力のすばらしさ

印刷用ページを表示する 掲載日:2006年1月30日

早稲田大学教授 宮口 侗廸  (第2547号・平成18年1月30日)

昨年の12月15日、総務省過疎対策室の過疎地域と都市の交流に関する調査事業の一環で、中越大地震の震源地の新潟県川口町を訪れた。その日はすばらしい晴天であったが、すでに1m近い積雪があり、屋根の雪下ろしも行われていた。今日(1月6日)の積雪は中心部で2m、、山地の集落で3mとのことである。

川口町は町制30周年の1987年に東京都狛江市と友好都市の調印を行い、翌88年には、災害時の相互援助協定を結んでいる。交流はその後、狛江市での町の物産展や〈女みこし〉の出演、川口町での市の少年野球や消防団の合宿などの形で続き、数年前からは、食材を持ち寄って語り合う集落の「寄り合いっこ」に市民が参加したり、多摩川いかだレースに川口町民チームが参加するという、市民レベルの交流が始まった。そして地震はその矢先に起きた。

地震に対する狛江市の対応は驚くほど敏速なものであった。発生は10月23日(土)の夕刻、翌朝8時に対応協議、8時30分に現地と連絡が取れ、12時20分に第1陣が毛布400枚、15時35分に第2陣が毛布320枚と仮設トイレ20基等を積んで出発。さらに現地の要望に合わせて、第3陣は20時20分に出発、仮設トイレ38基とペーパー、投光器、発電機、生理用品などを届けた。現地での支援活動もめざましく、救援本部は11月初旬まで活躍した。特に仮設トイレの敏速な搬入は、最高に喜ばれたという。

この狛江市の支援は、もちろん災害相互援助協定に基づくものである。しかし農山村の災害に対し、都市の側がこれほど敏速に立派な対応 をしてくれたことは、おそらく川口町の人たちにとって、想定外にありがたいことだったのではないだろうか。

最近までのわが国の農山村は、きちんとした契約に基づくよりは、経験を共有する中でのあいまいな約束事で動いてきた。しかし人口が急増した大都市の郊外では、論理的・システム的に、自治のしくみをゼロからつくっていかざるを得ない。ここにシステムとしての都市の本質的な力が育つ。そして今回の震災に対して、経験がないにもかかわらず、その力が遺憾なく発揮されたことは、何とすばらしいことであったか。農山村の側が都市から学ぶべきは、まさに経験を絶対視しない、論理的・システム的な暖かい反応もこの世にあるということではなかろうか。