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わが村の合併に思う

印刷用ページを表示する 掲載日:2005年3月7日

早稲田大学教授 宮口 侗廸  (第2512号・平成17年3月7日)

市町村合併についていろいろ言われながらも、現実にはすでに相当数の町村の名前がなくなった。私が生まれ育った富山県細入村も、この4月1日から富山市の一部となる。

この村は飛騨との県境に位置する山村であるが、いま災害で一部不通になっているJR高山線が昭和初期から通っていたために、早くから富山市への通勤者もいたところである。私もまだSLが引いていた列車で富山市の高校へ通ったが、当時は、朝6時30分発の汽車による通学を、そんなにつらいものとは思わなかった。そして後に東京で学生生活を送る中で、山村・地方都市・大都市のそれぞれの違いに対して強い関心を持つようになった。恐らくこのことから地理学を専攻するようになり、その後過疎問題を始めとして町村の現場から多くのことを学ばせていただいてきた。

わが原点のこの村も、いまは道路もよくなり、富山市へは自動車で4、50分である。しかし雪国という状況もあり、若い世代はより利便性を求めて平野部に家を持つようになった。人口減少・高齢化は着実に進行している。かつて発電所や神岡鉱山の出先があり、大げさに言えば当事の先端産業の村だっただけに、転換はより難しかったかもしれない。

今回の7市町村の合併でできる新富山市は、港湾、中心市街地、工場地帯、郊外住宅地、田園、里山、山村、そして3,000メートルに近い山々など、あらゆる要素を持つことになる。風の盆で有名な八尾町の町並みもこの中にある。世の中に上下で語れない違いが存在することこそが、豊かさの基本である。これだけの空間的多様性を抱え込む自治体が、新しいマネージメントシステムの中で、どれだけそれぞれの地域を輝かせることができるかに、この大変革の評価がかかっているのではないか。その意味で、単に旧町村単位で予算を確保するという発想を超えて、住民との協働によって、特色ある地域自治のしくみを構築していくことが必要である。地域自治の単位も旧町村にこだわることはない。合併を機会に、豊かな自然に恵まれたわがふるさとから、改めて強い主張が生まれてくることを期待したい。