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「金の卵」の恩返し

印刷用ページを表示する 掲載日:2017年5月29日

ジャーナリスト 松本 克夫 (第3001号・平成29年5月29日)

NHKの朝ドラ『ひよっこ』のヒロインは集団就職で茨城県から東京五輪直後の東京に出た。彼女は高卒だが、3001号を迎えた『町村週報』が創刊して間もない昭和30年代頃は中卒の方が引く手あまたで、「金の卵」ともてはやされたものだ。だから、農家の次男や三男は続々集団就職列車で東京や大阪に向かった。福島県飯舘村出身の菊池功・菊池製作所社長もその一人である。東京の試作品メーカーに就職した菊池さんは、26歳で独立し、84年には飯舘村に福島工場を開設した。「村に工場があれば、自分も東京に出ることはなかった」という思いからである。

福島工場は順調に拡大を続け、一時は従業員が350人を超えるほどになった。人口6,000人規模の村にとっては、大口の雇用先である。「消防団をはじめ何をやるにも村と一緒ですから、村の工場みたいなものです」と菊池さんはいう。飯舘村は福島第一原発事故により全村避難を余儀なくされたが、「村の工場」は操業を止めなかった。従業員は避難先から車で1時間余りかけて工場に通った。さすがに退職者も相次いだとはいえ、被災地にとっては貴重な雇用の場になった。

菊池製作所は、3.11後の風評被害もあり、経営が厳しくなったが、地元の要望はできるだけ聞いてきた。避難指示解除が早かった同県川内村からの要望を受けて、廃校舎を活用した川内工場を新設した。南相馬市小高区では撤退した企業の工場建屋を引き継いで南相馬工場とした。同社が次の主力製品と考える医療や介護を助けるロボットなどの開発・製作のセンターにする計画である。

同社は被災地の雇用を支えた功績で、河北新報社が設けた河北文化賞を受賞した。かつて集団就職組を「金の卵」と称したのは都会であって、田舎にとっては口減らしにすぎなかったはずである。その「金の卵」のふるさとへの恩返しはおまけみたいなものだが、時には大きなおまけもある。菊池さんは、「村のいいところしか覚えていません」と子どもの頃の思い出を語る。恩返しの原点であろう。