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「までい」の力

印刷用ページを表示する 掲載日:2012年4月2日

ジャーナリスト 松本 克夫 (第2795号・平成24年4月2日)

米国のエコノミスト、ジョセフ・スティグリッツ氏によると、ウォール街の金融家たちは今回の金融危機を千年に一回の大嵐に遭ったようなものと見ているという。株価大暴落のような事態は二百億年に一回の確率でしか起きないという投資銀行などの試算もあったくらいだから、そう見るのも無理はない。金融工学の魔術師たちのおごりは、福島第一原子力発電所での原子力工学の専門家のおごりと瓜二つに見える。

東日本大震災は、千年に一回の大地動乱と見れば、不運を嘆くしかないが、敗北感が付きまとうのは、文明のおごりをぬぐい去れないからだろう。原発事故で全村避難を余儀なくされた福島県飯舘村の菅野典雄村長は、かねて「効率一辺倒、スピーディー、おかねがすべて」という文明のあり方に疑問を抱いてきた。そこで、飯舘村が掲げたのが「までいライフ」である。「までい」は、手間ひま惜しまず、丁寧に、つつましく、などを意味する方言である。

「までいライフ」を象徴する催しに、「思いやりまでいラリーピンポン大会」がある。相手に勝つ卓球ではなく、どのくらいラリーを続けられるかを競う。親子や夫婦が呼吸を合わせるのにぴったりの大会である。村の取り組みを一冊にまとめた『までいの力』の刊行は、皮肉にも、全村避難の時期に重なったが、そこには、「無縁社会×までい=有縁社会」「限界集落×までい=元気集落」「何もない里山×までい=資源の山」という等式が記されている。「までい」は負の条件を正に反転させる力である。

選りに選って、ゆったりとした暮らしを追い求めていた村が、せわしない文明の利器の暴走の犠牲になろうとは。菅野村長は、「これが明治維新、戦後に続く第三の転換期になってくれなければ、余りにも空しい」という。村長の願う転換の方向は、「おかねの世界」から「いのちの世界」へ、である。受難の村の「までい」の力が、次の新たな文明の種を宿し育む。