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利他主義の復権

印刷用ページを表示する 掲載日:2011年4月25日

ジャーナリスト 松本 克夫 (第2758号・平成23年4月25日)

数え切れないほどの悲劇が生まれた。不条理な話だが、人間の気高さや勇敢さに感動させられるのは、決まって悲劇を通してである。東日本大震災は改めて、人は信じるに値すると教えてくれた。

防災無線で人々に避難を呼びかけながら濁流に飲み込まれた役場職員がいた。生徒たちの救出に向かって行方知らずになった高校教師がいた。自らの家族を失いながら、救出や捜索に黙々と努める消防団員や、病人や負傷者に懸命に寄り添う看護師がいた。死語になりかけていた献身という言葉通りの光景が、まざまざと蘇えった。

悲しみを押し殺し、凍える避難所でじっと耐える被災者を、海外のメディアは「ストイック」と表現した。克己心の強い古代ギリシャの哲人の面影を見出したのだろう。近代を通じて、縁の下の力持ちであり続けた東北人は、惨事のさなか、「雨ニモ負ケズ」の精神を、身を以て示してくれた。

外からは、無数の善意の手が差し伸べられた。救援物資やボランティアはもちろん、疎開受け入れの申し出も相次いだ。雇用の場を提供する会社も現れた。10年分の善意が一時に凝縮されたかと思われた。

夏目漱石は小説『三四郎』の中で、昔は他(ひと)本位の利他主義だったのに、最近は自己本位の利己主義に変わったと同時代の風潮を評した。漱石によれば、利己主義が極端になると、お互い不便を感じて、また利他主義が復活する。2つの主義は際限なく入れ替わるのだという。その予言通り、昭和初期には尽忠報国の利他主義が復活し、戦後は自己本位が強くなった。

近年は、それが益々高じ、「自己責任」が叫ばれ、競争すれば世の中はよくなるという俗説がまかり通った。そこに大震災である。天の配剤のように、「無縁社会」化しつつある都会に、漁村や漁師町の人々の絆の太さを見せつけた。嫌でも、助け合いの土台があってこその競い合いであると認めないわけにはいかない。「3・11」を機に、利己主義を助長した「戦後」が終わり、利他主義が復権する「震災後」に移る。