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無縁社会の避難所

印刷用ページを表示する 掲載日:2010年6月28日

ジャーナリスト 松本 克夫 (第2724号・平成22年6月28日)

常識がないといわれそうだが、特殊清掃という業種があることを最近になって知った。NHKが放送した「無縁社会」シリーズで教えられたのである。特殊清掃は、孤独死などがあった家の消毒、消臭、原状回復をし、遺品を整理する仕事である。身寄りのない人ならともかく、身寄りがあっても、業者任せにする例が増えているから、この業界は相当な規模になっているらしい。地縁、血縁、会社を通じての社縁が切れて、無縁化した人がいかに多いかを示している。

皮肉なことに、縁が薄れた社会ほど、新事業が生まれる。昔は、結婚式や葬式も、親せきや集落の手づくりでやっていたが、今はほとんどビジネス化した。専門業者が仕切る冠婚葬祭はどうしても擬い物感が漂うが、もう擬い物が主流になってしまった。昔のように、仲人を買って出る人がいなくなったと思ったら、婚活ビジネスが登場した。孤独死の後始末がビジネス化しても、不思議はない。

携帯電話が普及し、ネットで簡単につながるというのに、孤独な人は増えた。世の中、経済成長願望はなお根強いが、気をつけた方がいい。結いやもやいの伝統が消え、ビジネスに置き換わるだけかもしれない。無縁化がビジネスを生み、ビジネスが無縁化を促す。政治学者のロバート・パットナムの『孤独なボウリング』によれば、米国でもコミュニティが衰退し、孤独な人間が増えている。無縁化は近代文明が抱えた持病に見える。

無縁社会化が進む中では、顔見知りばかりの町村のような有縁社会は稀少価値である。鳥取県智頭町は「疎開のまち」を目指している。戦時中に、戦災からの避難者を受け入れたように、都会の競争社会で心が病んだ人たちを受け入れるのだという。もう少し広げ、無縁化した人も受け入れて、有縁社会で癒すのはどうか。町村は無縁社会の避難所になる。避難者は多少なりとも町村の助っ人になる。そんなうまい共存は考えられないか。