評論家 草柳大蔵(第2355号・平成13年5月14日)
テレビに映った李登輝前台湾総統の笑顔が印象的だった。岡山の病院で心臓手術の加療を受けられることがよほど嬉しかったのだろう。外交問題の不手際ばかりが報道されて、李前総統の人間としての“偉さ”が日本では一般的に伝えられていないと思う。
私が感動したのは、李氏が総統を辞任するとき、余生をキリスト教の伝道師として送ると宣言したことである。「キリスト教事典」という部厚い辞書にあたってみたが、伝道師から政治家になった人はいるが、政治家から伝道師になった人は李氏がはじめてである。しかも、伝導する先は台湾の山間部に住むタイヤン族の部落である。経済的貧困が長引き、部族の婦女が売春婦となって台北や北投などの歓楽街に流入する。そこで李氏は「身を売るということは恥しいこと」「そんなことをしないでも手に技術をつければ生きてゆけること」、この二点を彼女たちに説き、授産施設を建て運営してゆくための資金集めに余生を投入しようというのである。
台湾には大陸から脱出してきた蒋介石(故人)を頂点とする外省人がおり、ニューヨークに住む宗美齢さん(蒋介石夫人)から莫大な額の政治資金が送られてくるが、李登輝氏は選挙のときも、そしてこのたびの授産所建設にもビタ一文このニューヨーク資金を使ったことがない。それだからこそ、新しい「台湾の立場」を全世界に声明し、その中で中国に対しては「国と国との特殊な関係」であることを主張できるのである。
李登輝氏のような人を「意味ある人」というのである。精神的に自立し、力の弱いものにやさしく、自分の持っている力を公のために使う人を指す。
折から日本は自由民主党の総裁えらびの最中だった。どうやら「構造改革なしには景気回復はない」が認められつつあるが、そうなると地方財政に溜った借金はどんな形で処理されるのか。李登輝さんにEメールを送ってお知恵拝借とゆきたい誘惑にかられる。