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文化力の源を探す

印刷用ページを表示する 掲載日:2001年2月5日

評論家 草柳大蔵(第2344号・平成13年2月5日) 

小渕前首相の政策スタッフにはよほどの才人が勤めていたようで、『21世紀日本の新構想』の中にも、闇を切り裂(さ)くような、適切な表現がある。

「時代は覇権を競った近代から文化力を競う方向に移っている」歴代内閣の中で「文化力」が政策提言の中で触れられたのは、はじめてではないだろうか。20世紀後半、日本は経済の復興とその成功に息つくヒマもなかった。「経済なき道徳は寝言である。しかし、道徳なき経済は罪である」と二宮尊徳は言ったが、たしかに「道徳なき経済」の結果、日本は80兆円の不良債権を抱えて苦しんでいる。しかし、暗い方にばかり目を向けていると、これからの“クオリティ・オブ・ライフ”(質のよい生活)を発信させる文化力を育てることができない。文化力は東大や東芸大がつくるものではなくて、豊かな自然や醇乎として残る人情にはぐくまれて芽を出すものである。

新潟県の新津市で、加藤登紀子さんが歌って大ヒットした『琵琶湖周航の歌』の原曲が、平成5年になって新津市出身の吉田千秋氏の作曲であることを教えられた。

大正6年(1917年)、旧制三高のボート部が琵琶湖周航の途中、部員の小口太郎が自作の詩を発表し、その詩を部員たちが当時流行していた『ひつじぐさ』(睡蓮のこと)のメロディーに乗せて歌ったのがはじまりだという。この『ひつじぐさ』の作曲者が吉田千秋氏で、こよなく音楽を愛し、多才であったのに24歳の若さで逝去した。その父吉田東五氏は『大日本地名辞書』で名高い歴史地理学者である。なお『ひつじぐさ』はイギリスの詩で、千秋氏はこの翻訳を手がけたうえ作曲している。私の手許にある『明治・大正・昭和歌謡大全集』には、歌の誕生について意外なエピソードが溢れんばかりだ。作者不詳というのも多い。インターネットを使って、作詞・作曲の原著者探しをやってみたらどうだろう。町村の文化力をつかむきっかけになりはすまいか。