評論家 草柳大蔵(第2335号・平成12年11月6日)
国の財政事情を貸借対照表の計算でハジキ直した結果が公表された。財政赤字が息を呑むほどの大きさになっていたが、国と同様、町村もいまの財政状況を計算し直してみると、これから何をしなくてはならないか、何をしてはならないかが、国とは違った形で浮かび上がってくるだろう。
この様な時代にこそ、国にも地方にも手練(だれ)の再建屋が欲しいところだが、かつて宮城県に早川種三さんという名再建屋がいた。大正14年(1925)に慶応大学を卒業したが、素封家であった父の遺産を遊蕩に使い果し、心機一転して登山家を志して槙有恒氏らとカナダのアルバータ山登頂に成功する。のちにペンキ屋を始めるが、昭和10年(1935)に日本建鉄の常務に迎えられ、終戦で公職追放。昭和28年には経済界に復帰して、戦後倒産の第1号になった日本建鉄の管財人になったのを皮切りに、日本特殊鋼、佐藤造機、興人と企業再建の中心人物として活躍した。その再建哲学が傾聴に値する。
第1。企業は内部から崩壊するものであり、倒産の責任はすべて経営者にあると思われるので、再建に当っては人事管理を重んじ社内の人材登用・労使関係の安定につとめる。
第2。ゴーイング・コンサート・バリュー方式の採用。これは65年不況の象徴となった日本特殊鋼の倒産処理の焦点となった考え方で、早川さんは倒産会社の担保債権額をめぐって銀行側と対立。工場価値を土地・設備などに分解する評価方法を否定し、残された資産の総体的機能を評価する「ゴーイング・コンサート・バリュー」を主張したが、会社更生法はこの意見を受け入れて改正されるに至った。
さて、せっかく貸借対照表による公的財政の試算があったのだから、複式簿記でやったらどうなる、会社更生法でやったらどうなる、この試算を新世紀の新予算が始まるまでに全国いっせいにやってみたらどうだろう。