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異聞〈地方分権〉10年の現実

印刷用ページを表示する 掲載日:2010年9月13日

異聞〈地方分権〉10年の現実

九州大学大学院法学研究院教授 木佐 茂男 (第2733号・平成22年9月13日)

地方分権とは、地域間の競争ないし格差を促進するための道具である、という解釈が流され出した。「総合的に実施する役割」(総合行政)の理念が、いつしか市町村合併強要語に変わり、「自主性及び自立性」が国への財源依存を絶つ理由になっていったように、言葉の意図的な意味変更の事例は多い。「地域のことは地域で決める」は、「地域でお金も調達する」に変わってきた。

この欄執筆のために、脳が回転する限度まで頑張って明るい話題を探そうとしている。確かに、都会の若者が Iターンしてきている町とか、人口増が見られるいくつかの小島、アフリカまで含む外国人を温かく受け入れ彼らが活躍している施設などに出会う。

ただ、美しいまちづくりの話題も、その中心人物がいなくなれば、果たしていつまで維持できるのかと心配になる。政令市の真ん中で暮らす人が30年も住んでなおよそ者扱いされる「田舎的」風土もある。自治の土壌づくりは困難をきわめる。

私の主観に過ぎないが、絵に描いたように自治を実現し、よそ者・馬鹿者・若者を大事にしている自治体もある。ただ、そうした自治体は、全国の中では絶滅危惧種に近い。概して、元気なまちづくりをする都市地域や農山漁村は、あまり地方分権や地域主権を意識しているようには思えない。必要だからやっている、に過ぎない。分権一括法による法律上の変化など、現場で意識されることはほぼ皆無に思える。

市町村合併でミニ中央集権が増えた。合併都市の中心部を経由して、従来の役場や農協という単位に務めていた人々が支所に通う。地元事情に通じていないからこそできる紛争解決が分権や合併によって可能になったという話も聞かない。

1994年の晩秋、私は、地方分権推進委員会設置前の衆議院地方分権に関する特別委員会でこう発言していた。地方分権が実現すると地方間の航空路は充実し「東京行きの飛行機のチケットがとりやすくなります」と。事態はまったく逆である。東京線だけが太っていく。この1年10か月の間、「上京」する用事が皆無の私は、地方分権の犠牲者なのか実践者なのか?