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「組織としての記憶」力は?

印刷用ページを表示する 掲載日:2010年6月14日

九州大学大学院法学研究院教授 木佐 茂男 (第2723号・平成22年6月14日)

1990年代の「失われた10年」が、21世紀に入り「失われた20年」になり、さらに次の「失われた30年」が続きそうである。日本社会の組織主義の良さが発揮された歴史を否定はしない。しかし今、「組織」は健全なのか。ダメになる組織は、ほぼ共通して組織内の風通しが悪いところである。権限を持たない下位の者がモノを言えず、あるいはモノを言う気力を失っている官公庁や会社がある。「個」も確立しなければ、「組織」の良さは発揮できない。

私の頭に染み込んでいる「日本の役所には組織としての記憶力がない」という山口二郎・北海道大学教授の発言がある。ご本人によれば活字で発表した論稿はないと言われるが、数日前、ついに自宅の資料の山の中から発言記録を見つけた。2010年度で終わるという北海道地方自治土曜講座の第2年目(1996年)を継続傍聴して書かれた記録・藤沢教子「地方自治土曜講座聴講記 コームイン達の背中」しゃりばり173号(1996年7月号)に、第1回目聴講記として載っていた。

山口教授が日本の役所の体質として挙げた重要事項には、①「プロセスが見えない」こと、②「非歴史性」がある。②に関しては、「きちんとした記録、つまり組織としての『記憶』がない。スモン、サリドマイドの経験を持つ厚生省は『記憶』していない。薬害エイズ問題のようなことは、この体質が変わらない限り、また必ず起こる」、と。

14年後の今も旧態依然の組織は多い。「組織としての記憶」作りに向けて、ごく稀にペーパーとデジタル双方の立派な管理システムを構築している自治体もある。だが、この頃は(も?)、「組織としての記憶」を有印公文書偽造の形で平気で作る公的組織さえある。問題に気づいている「個」である職員は多い。組織記憶喪失の原因は多様だが、短期の人事異動、職員の専門性・自立性の希薄さ、文書管理・電子情報管理のお粗末さもある。現在も「個」の役割は正当に評価されず、「官僚制」のあるべき姿の崩壊、公務員制度の綻びが目立つ。新たな公文書管理制度の良い運用も重要であるが、組織自体の自己溶解をどう押しとどめるか問われている。