横浜国立大学経済学部教授 金澤 史男 (第2641号・平成20年6月2日)
市町村合併や道州制を推進する議論において、必ず持ち出されるのが広域行政の必要性である。生活圏域や経済活動域の拡大、あるいは交通ネットワークや環境政策の広域的対応の必要性などなど。
しかし、広域行政だからといって、それに合わせてすぐに器を広げましょうという主張は、私にはどうにも腑に落ちないのである。
よく知られた事実であるが、人口約6千4百万人のフランスには約3万6千のコミューンがある。平均人口は2千人を切っている。コミューンを大きく越える広域行政は県や州が担当する。地域経済振興の分野は国と州が協力して行なったり、州連合が組織されたりしている。また、身近な行政でコミューンの範囲を越える上下水道や廃棄物処理などはコミューン連合を形成して対応している。
むやみに基礎的自治体を拡大しない点ではアメリカも同じである。もともとアメリカでは、市町村の行政区域よりも狭い範囲で活動する特別区が、教育や衛生などの行政を担ってきた。市町村を越える行政が必要とされる場合も、その行政分野を共同で処理する市町村連合がまずは構想される。イチロー選手が所属するマリナーズの本拠地シアトル市には、美しい水をたたえるワシントン湖があるが、高度成長期には水質悪化が問題となった。
シアトルをはじめ湖畔の市町村は、集水域に下水道を整備するため市町村連合の通称シアトル・メトロを組織して水質浄化に取り組み、見事に湖を再生させた。
自治とは、その土地固有の気候、風土、経済基盤があるから必要とされるし、効率的ともなる。とくに基礎的自治体は、顔の見える関係で築かれるべき「狭域行政」の担い手でもある。広域行政を優先させる考え方は、町村名の喪失も含めて、こうした陰影に富んだ自治の根っこの部分をブルドーザーでのっぺらぼうにしていくがごとき行為に思えてならないのである。
こうした自治、地方にまつわる日本に特有の「七不思議」とでも言うべき現象について、今後、順次取り上げていきたい。