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東路の道のはてよりも…

印刷用ページを表示する 掲載日:2012年1月9日

千葉市男女共同参画センター名誉館長・NHK番組キャスター 加賀美 幸子
(第2784号・平成24年1月9日)

「東路(あづまじ)の道のはてよりも、なほ奧(おく)つかたに生ひいでたる人…」と始まる『更級日記』作者、菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)は、紫式部や清少納言とは違う意味で人気がある。

物語は、父孝標(たかすえ)の任地である上総(かずさ)(今の千葉県市原あたり)で、10歳から13歳まで過ごした多感な少女が、その間『源氏物語』にどれほど強く憧れていたか、その様子から書き始められる。

父の任期があけて、上総から下総、武蔵、駿河、三河、尾張、近江などを経て京に上る約三カ月の旅。土地のこと人々のことが、感性豊かに、心優しく語られ、胸に迫る。そして京に戻ってやっと手にできた『源氏物語』…誰にも邪魔されず、几帳(きちょう) の内(うち)に臥(ふ)して次々と読む気持ちといったら、后(きさき)の位だって問題にならないわ…ときっぱりと言い切る作者の清々しい思いが気持ち良く伝わり惹きつけられる。

しかし、憧れの夕顔や浮舟のような出会いもなく、光源氏や薫大将とは程遠い夫との結婚。宮仕えの話がきても、家族の世話に追われ、女房として活躍することはなく、日々は過ぎて行く。

紫式部や清少納言とは違い…本来力はあるのに、女房としてもなかなか認められず、自分自身も、いまいちしっくりしない仕事ぶり…現代にも通じるものがあり考えさせられるのである。

「現世では上手くいかなかった」と、孝標女は嘆くが、時代を超えて『更級日記』は多くの人々に共感され読まれ続けられているのだから、物語に憧れた孝標女にとって、本望であったのではないだろうか。