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故郷のうた

印刷用ページを表示する 掲載日:2010年5月17日

千葉市女性センター名誉館長・NHK番組キャスター 加賀美 幸子
(第2719号・平成22年5月17日)

「朗読でつづる故郷の心」というイベントが東北であり、冒頭で石川啄木の短歌を詠んだ。「ふるさとの 山に向かいて 言うことなし ふるさとの山は ありがたきかな」「やはらかに 柳あをめる 北上の岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに」「ふるさとの 訛なまりなつかし 停車場の 人ごみの中に そを聞きにゆく」…青春の思いを情熱的に歌い上げ、貧苦と戦い26歳の若さで世を去った啄木の短歌は、多くの人々が、その心と共に、自分の故郷に重ねて口ずさむ。勿論「石をもて 追わるるごとく ふるさとを 出いでしかなしみ 消ゆる時なし」と綴ったり、社会の現実に向き合った『呼子の笛』という詩集もあるが、ふるさと渋民村への強い思いは歌の底を流れ続けている。

同じ東北の詩人草野心平さんの詩や文章も続いて朗読したが、「私の中のみちのく」という随筆の中で、心平さんは、芭蕉の「奥の細道」について、「文化は江戸にあり、それまでの日本文化の遺跡はほとんどみんな西方にあった。」なぜ芭蕉は奥州路に向かったか…それは「その細道の旅で自分を改めて見つめたいためだったのではないだろうか、…芭蕉の内部には「北方」が常に住んでいて、それが芭蕉の作品の母胎だった」と語っていて興味深かった。

そういえば、少し前、四国松山にて、司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』を朗読した時、冒頭の文章に惹きこまれた。正岡子規の句「春や昔 十五万石の 城下かな」について、司馬さんは「子規は啄木のようには、その故郷に対して複雑な屈折をもたず、伊予松山の人情や風景ののびやかさをのびやかなままにうたいあげている点、東北と南海道の伊予との風土の違いといえるかもしれない。」と。

多くの詩人たちは、故郷を歌い、芭蕉のように内なる故郷の旅を続けてきた。私たちはその短歌や俳句を愛する。そして、口ずさんだり朗読すると、言葉が立ち上がり、自分の故郷の歌のように思えてくるのが何より嬉しいものである。