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源氏物語・千年紀

印刷用ページを表示する 掲載日:2008年6月23日

千葉市女性センター名誉館長・アナウンサー(元NHK) 加賀美 幸子
(第2644号・平成20年6月23日)

今年は「源氏物語」の千年紀。紫式部が「紫式部日記」の中に初めて「源氏物語」について記したのが1008年(寛弘5年)11月1日のこと。「このわたりに若紫やさぶらふ」と藤原公任(きんとう)が式部の部屋を訪ねてくる。すでに貴族の間では読まれ親しまれていたことがはっきり日記に留められているのである。その記念すべき1008年から今年で丁度千年、時代を超えていきいきと伝えられてきた源氏物語。今も人々の心に深く熱く語りかけてくる。

光輝く一人の男性を中心におき、係る女性たちの生き方、あり方を描こうという式部の筆の巧みさ。中途半端な男性だったらある人は振り向き、ある人は横を向くかもしれない。そうではなく誰もが同じ方向を向く中にこそ、一人ひとりの違いが見事に見えてくる。

女性こそ主人公の物語といわれるが…個性溢れる多くの女性が登場し、その中に自分や周りの人々を重ねて読む楽しさも源氏物語の魅力のひとつである。 

千年紀の今年は私も「源氏物語」にかかわる仕事が多いのだが、先日、紫式部が源氏物語の発想をえたといわれる、大津の石山寺で「関屋(せきや)」を朗読した。源氏と空蝉(うつせみ)が悲しくもすれ違う、短くも美しい場面である。かつて源氏17才の、中流階級の女性空蝉と出会うのだが、彼女は蝉が抜け殻を残すように衣だけをのこし、源氏の言うなりにはならず、身の程をわきまえ、去っていく。

それから10年以上の月日がながれ、偶然同じ日に石山寺を参詣するのだが、又、直接の出会いとはならず、歌だけを交わすのみ。それだけに余計源氏は惹かれるのである。それほど美しくはないけれど、情に流されず、しっかりした思いに生きる空蝉に、紫式部は自分を重ねているようにもみえる。空蝉、末摘花、花散里など、それほど美しくはなくとも、誠実な女性を最後には光源氏の住まいである二条院にひきとり生活が困らないように大事に世話をする。源氏物語の魅力はかぎりなくあるが、そのことにも、女性としての式部の優しさや思いが見えて、ほっとし嬉しくなるのである。