千葉市女性センター館長・アナウンサー(元NHK) 加賀美 幸子
(第2524号・平成17年6月20日)
ドラマには必ず主人公があり、その他に、取り巻く人々、ただ通りすぎる人々などが、その盛り立て役として描かれるのが定石である。人の心を掴むのは、主人公の魅力次第。姿形などを通り越して(役の器としての意味はあっても)その生き方がいかに見事にドラマチックであり、人々の心を動かすことができるか…。ドラマが評判になるか、静かに萎んで、ただ終わってしまうか、主人公の在り方は全てを左右してしまう。
「独眼流政宗」「八代将軍吉宗」「澪つくし」「けものみち」「憲法はまだか」その他高視聴率のテレビ番組や「善人の条件」「真珠の首飾り」など映画や舞台の脚本家であり演出家であり小説家でもあるジェームス・三木さんと最近対談したとき、魅力的な主人公の条件とは何かを?語って下さり、当方、目から鱗の思いがした。
劣等感をどれだけ持っているか、それがどんなに深い劣等感であるか?いずれにしても劣等感を多く深く持っていない人は主人公にはなれない。時代劇であれ、現代劇であれ、劣等感が主人公の条件とのこと。そのことで悩み苦しみぬき、でもそれを乗り越えていく?どう乗り越えるか。その人間性に人々は共感し、同時に励まされる?ドラマは人々の共感が無ければ成功しないという。
劣等感こそ人間を美しくさせる要因であることは、言わずもがな、日常においても同じではないだろうか。劣等感の諸々の原因はどうする事もできないけれど、それを見つめ、負けないで補ったり転換したりしてプラスに変えていく、又、苦心して考えたり行動するそのこと自体も又、人間としての深い魅力に繋がるものと強く信じている。
「劣等感がなかったり、あってもトライせず、やっかいなことはしたくないと通り過ぎる人?それはドラマの中でもただの通行人にすぎない」と三木さんは仰る。観客はなくとも、大事な自らの人生の舞台では、常に主人公でありたいものである。