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謙虚に堂々

印刷用ページを表示する 掲載日:2005年3月14日

千葉市女性センター館長・アナウンサー(元NHK) 加賀美 幸子
(第2513号・平成17年3月14日)

「謙虚に堂々」ということばが好きである。「控えめにするだけでなく、時には堂々と胸を張る」という反対とも言える両方を兼ね備える生き方…と捉えても良いのだが、私にはその二つは両極とは思えない。自らに心のゆとりがあれぱ、自然に謙虚にもなれるし、堂々ともなれるものではないだろうか。謙虚さは堂々とした生き方のひとつであるような気がする。

ある小学校にことばの講演で最近伺った時のことである。「伝えること・聞くこと」を重点課題として大事にしているその学校では、子供達の発表の様子も、物事を伝えることばも生き生きとしていて、日常の取り組みの確かさが伺えて嬉しかった。

私の感想に対して、先生は「子供達の話すこと・伝えることの力は、めきめきとあがってきた。でも、どうしても人の話を聞くことが上手くできない。謙虚に相手のことばを聞きなさいと、いつもいつも言っているのですが…」と首をかしげられた。

「ゆとりの心がないと、なかなか謙虚にはなれませんね」と申し上げたのだが、ゆとりということばの意味合いも様々なので、先生はやはり首をかしげられた。

ゆとりとは、時間的にも追われず、空間的にも詰めこまず、ゆるやかな生き方・過ごし方をいう場合もあるし、知識や内容、経験などを豊かにたっぷり充ち満ちて持ち、次々追われるほど、なす事があり、大変ではあっても、その分実りを手にすることが出来る…たっぷり満たされることがゆとりの心に繋がる…等々、捉え方はさまざまだが、私は自らが満たされて初めて人はゆとりを感じ、ゆとりがあれば、自然に他人にも優しくなれるし、人のことばにも謙虚に耳を傾けることができるようになると信じている。謙虚になれる根本を見つめて「謙虚に堂々」と生きてみたいし、子供達にも生きて欲しいものと、いつも思う。