NHK国際放送局長 今井 義典(第2514号・平成17年3月28日)
環境衛生の向上で日本の家庭から姿を消したはずの「蚊帳」、一方いつ襲ってくるかわからない「津波」、どんな関係があるのか。きっかけは去年暮れのインド洋大津波だ。世界中に支援の輪が広がり、日本も世界に先駆けて5億ドルの援助を表明した。さらに自衛隊を派遣、防災体制の強化支援にも乗り出した。NGOなどによる民間の援助活動も進んだ。しかし世界の目は「津波」からさらに先に向けられている。もうひとつの津波、「サイレント・ツナミ」(沈黙の津波)の存在に思い当たったのである。
あの大津波から1ヵ月後スイスで開かれた国際会議で、世界の経営者や各国首脳、ハリウッドスターまで「今年の最優先課題」として熱っぽく語り合ったのが「貧困問題」だ。貧困ゆえに人類の3分の1が絶望的な状況に置かれ、感染症・飢餓・内戦などで死者は毎年数百万人に達する。インド洋大津波が毎月のように襲ってくる勘定だ。この音もなく続く「ツナミ」に、インド洋大津波で世界が示した善意とエネルギーを振り向けようというのだ。中でもNGOや企業参加の取り組みとして注目されたのが「マラリア」である。
マラリアは熱帯特有の感染症で、毎年3億人がかかる。死者は3百万人に達し、アフリカ諸国のGDPを3分の1も引き下げているという。薬の開発が進まず、DDTは環境問題から使用禁止になった。そこで世界が一番注目しているのがあの懐かしい「蚊帳」なのだ。マラリア地帯の人口は10億人、蚊帳の中で安全に寝ているこどもはわずか1パーセント、こどもの罹病率・死亡率が極めて高い。
それなら「ひとり残らず蚊帳の中」で寝られるようにしようというわけだ。成算はある。繊維に殺虫剤を染み込ませて編んだ特殊な蚊帳が最近開発された。蚊が触れれば数分で死ぬという即効性があり、しかも丈夫で長持ち、汚れたら洗って乾かすと殺虫剤の効能がよみがえる。開発したのはなんと日本の大手化学会社で、製法技術をアフリカの企業に供与し、現地でも生産が始まっている。津波から蚊帳へ、3個3ドル、総額3千億円の大プロジェクトが動き出そうとしている。