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日本海を越えて

印刷用ページを表示する 掲載日:2003年10月27日

NHK国際放送局長 今井 義典(第2457号・平成15年10月27日)

最近シベリアのイルクーツクを訪れる機会があった。東京から日本海を越えて約3,500キロ、バイカル湖に程近い、東シベリアでは最大の都市だ。18世紀後末ロシアに助けられた漂流民、大黒屋光太夫が鎖国時代の日本を目指すロシア人向けの日本語学校を作ったことはよく知られている。今もイルクーツクの国立言語大学にはロシア屈指の日本語学科があるし、州知事はじめ親日的な人々が多い。ソ連崩壊後の経済的な苦境と、日本よりはるかに遠いモスクワの連邦政府の無関心になりがちな政策もこれあり、切り札の石油天然ガス開発などをめぐって、日本への熱い期待を強く感じた。

羽田から青森へ、さらにロシアのローカル航空便を乗り継いで2日がかり、日本とロシアは実際の距離以上に遠い。日本と海外の人の往来が年間2千万人を超える国際化時代に、日露間ではわずかに8万人(足らず)である。日露間の貿易量は5,300億円と日本の貿易総額の1%以下、姉妹都市の縁組も13組にとどまり、これも日本と世界の地方自治体の提携の1%以下だ。

20世紀の日露関係は対立と不信に終始し、北方領土と平和条約の問題は今もノドに深く突き刺さったままだ。しかし江戸時代以来、人と人の心温まる交流の歴史があり、その痕跡は今でも全国の町や村に残っている。そのうえ日本のロシア文化に対する傾倒振りは、文学を見ても音楽や演劇を見てもかなりのものだ。最近は逆に村上春樹など日本の作家がロシアで人気を呼んでいるという。両国間には共有できる価値観が存在する。

往路青森からハバロフスクに向かう機中は、驚いたことに日露の中学生で満席だった。さらに翌朝ハバロフスクからイルクーツクに向かった便には、青森県の高校アイスホッケー選抜チームが乗り合わせていた。地域と地域の努力で、様々のレベルの交流が脈々と続いている。一衣帯水の日露が、新しい21世紀の関係に向けて動き出すことは、北東アジア全体の平和と発展につながる。日本の各地で続いている交流活動が、細い糸から太い絆に、さらには綾なす帯のように、広く、しっかりと育ってほしい。