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いつもそこにある危機

印刷用ページを表示する 掲載日:2011年3月7日

作新学院大学総合政策学部教授 橋立 達夫 (第2751号・平成23年3月7日)

春休みに入って家にいることが多く、最近テレビをよく見る。しかし夜は安易なバラエティ番組ばかりだし、モーニングショーの内容は、事件とスポーツ、芸能に関するものばかりだ。「スポーツと芸能とセックスに関する情報をじゃぶじゃぶと流しておけば国民は政治に関心を向けなくなる」というヒットラーの3S政策も斯くやと思わせるような状況である。

そしてさらに気になることがある。大相撲の八百長疑惑に象徴されるように、検察、警察からのリークと思われる情報が盛んに用いられ、たちまち社会の敵が形成されてしまうという状況が目立つことである。マスコミは自らの力で調査をすることを放棄し、与えられた情報を、いかにも自分たちが調査して得た情報のように垂れ流す。したがって、新聞やテレビで報道されることと、少し調査の時間をかけることができる同系列の週刊誌の記事の論調とが正反対になることも珍しくない。どうやらマスコミは機能不全に陥っているように見える。(もちろん良心的な番組もあることを認めるのはやぶさかではないが。)

しかもこのような突然の大ニュース(?)は、世論が社会の動きに疑問を抱き始めた時に現れると考えるのはうがちすぎか。民主党が政権を取った途端に噴出した政治と金の問題、検察官による違法取調べや検察審査会への疑問が湧きかけたタイミングでの尖閣諸島問題や大相撲疑惑。情報の漏えいや報道がタイミングを計っての意図的なことであるなら、世論操作と言う大問題である。その裏には超大国の思惑、既得権益の上に胡坐をかいた財界や官僚の意図も見え隠れしている。

チュニジアやエジプトの政変では、世論によって独裁者が放逐されたが、今の日本では、政治が乱れていても国民のデモすら起きない。それを民主的な国だからと考えていたら、民主的な政治はいつまでたっても獲得できないのではないか。民主主義の危機は気付くと気付かざるとにかかわらずいつも目の前にある。