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日光東照宮 四百年の歴史を支えてきた力

印刷用ページを表示する 掲載日:2010年11月1日

作新学院大学総合政策学部教授 橋立 達夫 (第2738号・平成22年11月1日)

日光東照宮は、2015年に、鎮座400年を迎える。日光に行くと、「桂離宮と日光東照宮とどちらが好きですか?」とよく聞かれる。いずれも日本の文化の粋を凝集したような歴史的名建築である。子供や外国人の多くは「綺麗だから東照宮です。」と答えるそうである。私はいつも、「桂離宮の、洗練され、計算し尽くされたような美と遊び心の世界が好きです。」と答えてきた。極彩色の東照宮の世界より、セピア色の桂離宮の建物が、四季の自然の色に囲まれている姿に美を感じてきたからである。しかし、先日、日光東照宮を訪ね、神職の方々にお話を伺う機会があり、少し見方が変わった。

日光は霧の深い里であり、建物が傷みやすい。漆や彩色は木材の劣化を防ぐ手立ての一つだが、やはり褪色などで、美しさが保てなくなる。そこで、伊勢神宮の式年遷宮と同じくらいの、ほぼ20年周期で、相当な大修理を行いながら、400年近い歳月を乗り越えてきた。そしてこの、20年周期の大掛かりな修復が、日本の建築・工芸技術の伝承にきわめて大きい効果を及ぼしている。寺社建築はもちろん、木工、金工、漆芸、彩色など、多岐にわたる分野で、技と人脈が途切れずに続いてきた原動力になっているのである。100年に1度の修復では、前の取組みを経験した人はすでに亡く、一から研究し直さなければならない。また、その間に職人の技が途切れてしまうことさえある。彩色の色一つの調合法が伝わらなくなるだけで、元の姿に戻すことはできなくなる。東照宮を維持するためには、数百の技、数千の職人さんたちの存在が欠かせないのであり、修復のための財力を含めて、四百年続いた「支える力」に大きな感動を覚える。それが世界遺産になった所以なのであろう。伝承された技は、全国の文化財保存修復にも多大な力となっている。

そして今、伝統的な技を身につけたいという若者が多数いて、後継者には困らないのだと聞く。日光東照宮では、修復の大変さと面白さを知ってもらうため、400年記念式典に向けて修復中の作業現場と参拝客の通路との間の壁をアクリル板にして、修復の技が見えるようにしている。