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近者説遠者来

印刷用ページを表示する 掲載日:2008年9月8日

作新学院大学総合政策学部教授 橋立 達夫 (第2652号・平成20年9月8日)

「近き者説(=悦:よろこ)び遠き者来(きた)る」。『論語』の中の孔子の言葉である。君主葉公から「政りごとの要諦は?」と問われた孔子はこう答えた。「近臣が悦んで仕えるような政治を行えば、その名声を聞いて遠くから人材が集まり、国の力になる。」 

二千年以上も前にこのような言葉が語られ、なおかつそれを今日に伝えてきた中国の文化の奥行きには感嘆せざるを得ない。もっとも残念ながら現在の彼の国の状況を見ると、つくづく政争やイデオロギーの無益さ、悲惨さを感じる。いや翻って見れば、我が国の政治の現況も変わらず悲惨である。年間三万人に及ぶ自殺者、子供の犯罪、ワーキングプア、年金問題、「現代版姥捨て」と呼ばれる政策。国民はとても悦ぶことのできる状況にはない。中国にも日本にも、昔から「国政が乱れると天変地異が起こる」という言い伝えがあるのだが・・・・

さて気を取り直して「近者説遠者来」に話を戻そう。孔子の語った通りに解釈すれば、行政の指針、首長の姿勢として非常に示唆に富んだ言葉である。そしてさらに今、これがまちづくりの新しい指針として注目されている。たとえば観光の面では、従来の地域の生活と分離した世界での観光ではなく、地域の住民が日常的に楽しんでいる生活の素晴らしさの一部を、来訪者に分けてあげるという新しいツーリズム型観光の考えである。

農村レストランなどのコミュニティ・ビジネスや特産品開発の面でみても、日常的に地域の住民が消費者・顧客として活用しており、週末には外からのお客が大勢やってくるという展開が望ましい。福島県飯舘村の、村の生活を一番楽しんでいる人を自薦他薦で選び贈られる「カントリーライフ大賞」。高知県馬路村の、「村の人は遊びが好きだ。都会の人(の遊び方)はまだまだだなぁ」と語るウナギ釣り名人。こういう人が遠くから人を惹きつけるのである。「住んで良いまち、来て見て良いまち」こそ、目指すべき地域の姿であろう。