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持続可能な農村再生~イギリスからの報告~

印刷用ページを表示する 掲載日:2009年5月18日

バーミンガム大学都市地域研究所客員講師 小山 善彦(第2679号・平成21年5月18日)

最近、「持続可能な農村再生」がよく言われるようになった。日本だけでなく、ヨーロッパでも広く使われ ている概念である。ヨーロッパの場合には、これまでの農業偏重の政策と画一的な方法論への反省が、この概念登場の背景にある。グローバリゼーションと都市化が進む中で、ヨーロッパ農村の多様な景観や文化、歴史、ライフスタイルなどを喪失させまいとする決意を感じさせる概念でもある。

カンブリア丘陵地の農業景観
カンブリア丘陵地の農業景観

本稿で紹介するイギリスは、パートナーシップや市民団体を積極的に活用しているという意味で、EUの中でも特異な存在である。ヨーロッパ社会主義の伝統に加えて、サッチャー流の民間活力の利用、ブレア時代の第三の道政策や市民社会セクターの育成、そして現在のコミュニティ重視の政策など、伝統と現代が組み合わさった独特の公共政策システムをもっている。農村再生の取り組みにも、そうした現代イギリスの方法論が色濃く反映されている。

カンブリア地域

イギリスにおける農村再生のフロンティアは、イングランド北部のカンブリア地方である。地域人口は約50万人、面積は6,800km、島根県とほぼ同じサイズである。その中心部は「湖水地方」として人気の高 い観光地であり、詩人のワーズワースやピーター・ラビットの絵本などでもよく知られている。そのため豊かな地域をイメージしやすいが、地域経済は停滞している。ツーリズムに依存した低賃金経済であり、さらに景観維持に貢献してきた丘陵地農業は、高齢化、後継者不足などの問 題に直面している。

地域の衰退に追い打ちをかけたのが、2001年に発生した口蹄疫である。農家への大打撃であったことはもちろんだが、農村地域が閉鎖され、地域の基幹産業であるツーリズムにも大きく影響した。この悲劇的な出来事を通して理解されたことは、EU保護政策のもとに極度に専門化・機械化が進み、地域との調和を欠いた農業のあり方であり、そうした農業に地域社会や経済が依存する実態だった。つまり、地域の持続可能性の欠如を象徴する出来事として、口蹄疫が発生したわけである。

グレイストーン・ハウス農場のティールーム
グレイストーン・ハウス農場のティールーム

コミュニティと共生する農業

この口蹄疫の発生を境に、カンブリアの農村政策は大きく修正された。また、新しい農業・農家のあり方を目指す農家も増えた。例えば、グレイストーン・ハウスGreystone農場(House farm)の場合、口蹄疫が発生する以前は150頭の羊と50頭の肥育牛をもつ典型的な畜産農家だった。農産物価格が下がってきて、同じ収入を維持するために家畜頭数と仕事量だけが増える。そうした自転車操業の中で口蹄疫が発生し、畜産 経営が破壊された。

2002年からは農場経営とライフスタイルを一転させた。まず、有機農業への転換を図り、納屋を改造して農場ショップを開設し、ティールームのビジネスも始めた。EUからの直接支払いを受けて環境型農業を実践し、さらに農場内に遊歩道をつけ、有機の環境の中で遊歩が楽しめるようにした。現在では学校の子供たちや近所の人たちが利用できる遊歩道になっている。

農場ではパートも含めて12人(夫婦を入れると14人)を雇用する。農業が近代化される以前の農業は、同じくらいの人数を雇っていたという。それが機械化農業によって夫婦2人だけの農業になっていたわけだが、それがまた14人に戻っている。農場経営を多角化したことで、地域コミュニティと共生で きる農業が再生されている。

伝統的農法の再生

カンブリア東部にあるユートゥリー農場(Yew Tree farm)も、農場経営の多角化に熱心である。ここは典型的な丘陵地農業であり、農地が急峻で営農条件が 厳しい。約240ヘクタールの農場では300頭の羊と、30頭の肥育牛を飼育する。まず2003年に農家民宿を始め、2003年にはティールームに手を広げ、2004年からは「ヘリテージ・ミート(Heritage Meat)」の販売を始めている。

ヘリテージミートを生産するユートゥリー農場
ヘリテージミートを生産するユートゥリー農場。母屋では農家民宿とティールームも営まれている。

近代化された農法では、羊は1年以内の飼育でラム肉として販売され る。しかし、1年以内だと肉の部分が少なく、脂肪分の多いラム肉となり、価格も安い。一方、丘陵地で2年以上飼育された羊は肉の部分が大きく、脂肪はマーブル状態になり、味と風味が格段に向上する。これが伝統的な羊の育て方であり、羊肉の味だった。そうした伝統的農法による飼育を復活させ、食肉に「ヘリテージ」の名を冠して市場に出している。

これまではオンラインでの販売や地元の高級レストランに供給してき たが、現在、全国に出店をもつ高級食品スーパーとの販売交渉を進めている。これがうまくまとまれば販売ルートが拡大され、伝統的な農法による付加価値の高い地域農業が再生できる。奥さんのキャロラインさんは「地域農家を巻き込んで、伝統的な農業を復活させたい。伝統的な農業こそが、地域農家が望む農業の姿だから」と話していた。

女性起業家の育成

カンブリア北東部の小さな村では、2001年に「ウールクリップ(Woolclip)」という小さな店がオー プンしている。ウールクリップは農家女性グループによる協同組合である。羊農家の女性の多くは手編み技術をもっている。そうした農家女性が集まって一定の商品量を確保し、それにブランド名を付けて販売するための協同組合である。最初は 12人で始まり、現在は16人まで増えている。

普通の店には売っていない、質の高い毛織物を販売するのが基本戦略である。地元の人には高く感じられても、観光客には安く感じられる商品を生産する。同じ時間とスペースをかけて売るのだから、できるだけ高く売る。現在の年間売り上げは約5万ポンド(約750万円)。女性によっては売り上げが多くて忙しい人もいるそうだ。

2005年からは「羊毛フェスティバル」を始めている。お客が来てくれるかどうか不安だったそうだが、2日間で4千人の入場客があった。現在では地域の重要な年中行事であり、ツーリズムのアトラクションにもなっている。また、織物技術を教えるワークショップを毎月実施し、学校でも羊毛文化 について教えている。カンブリアの文化と産業の基盤は農業であり、その農業の主役は羊であることを若者に伝えたいからだ。

地域力の開発と中間支援団体

以上の事例はすべて農家が関係したものだが、新しいライフスタイルを求めてカンブリアに移住し、地域資源を使ったビジネスを成功させている人も多い。これらの成功事例には、「伝統へのこだわり」「地域資源の活用」「ツーリズム」「エンタープライズ」あるいは「イノベーション」といった共通点がある。中 でもとくに重要なのが最後の2点。地域の資源や社会の動向をみながら新しいチャンスを見出し、それをビジネスにつなげられる個人あるいは地域としての能力である。

こうした地域力を向上させるため に、イギリスでは中間的な支援団体が数多く設立されている。これらは行政から独立して機能し、EUや政府から資金を獲得し、地域力を開発しながら地域を発展させる役割を担う。その多くが関連団体のパートナーシップで組織され、専門家集団としての能力も持っている。カンブ リアではつぎの3つの団体が重要な役割を果たしていた。

まず、「カンブリア農村エンタープライズ・エージェンシー(CREA)」である。これは農村部での中小企業の支援や起業を目的としており、企業で働いた経験のある人が中核スタッフを構成している。ビジネスアイデアの発掘からプランの作成、マーケティングなどのビジネスアドバイスの他、計画認可の取得や資金の獲得なども支援する。このCREAが取り組んだ事業の一つが「カンブリア特産ビジネス支援プログラム」であり、この中でカンブリアの食文化を再生させるための食品ビジネスの育成が図られている。事例でみたヘリテージ・ミートの商品化のプロセスでも、このCREAからの支援が提供されている。

ウールクリップの店舗に並ぶ手作り商品
ウールクリップの店舗に並ぶ手作り商品

2つ目の「ボランタリー・アクション・カンブリア(VAC)」は、農村コミュニティの能力構築に焦点を当てた団体である。ここでも「コミュニティ能力の構築」「女性起業家の育成」「農 家アドバイス」「社会的企業の育成」など、多様なプログラムを企画・実践している。「女性起業家の育成」は地域の女性グループに新しいビジネスアイデアを企画させ、その実現までのプロセスを支援するプログラムである。先に事例として上げたウールクリップや農家のティールームなどは、この活動から生まれたビジネス である。「農家アドバイス」は新しい時代への対応を農家にアドバイスするためのプログラムだが、実際の農家をトレーニングし、アドバイザーとして育成しているところに新味がある。また、「社会的企業の育成」は地域コミュニティによる起業を支援することで、郵便局の閉鎖や学校の閉鎖、バス交通の閉鎖などの問題に対応することを主な目的としている。

EUのリーダー事業

3つ目は「フェルズ・アンド・デールズ・リーダー(Fells and Dales Leader)」という団体である。EUでは1990年代の初めから、「農村再生(rural development)」事業をEU全域で始めている。地域の農村関連団体による「地域アクショングループ(LAG)」を設立させ、そこにEU予算をつけて、地域による創造的な取り組みを支援する事業である。EU全体では900近くのLAGが形成されているが、カンブリアに形成されたLAGが「フェルズ・ アンド・デールズ」である。

リーダー事業の特色は、「ボトムアップ」「パートナーシップ」「イノベーション」といった事業原則をもとに、EU資金が投入されている点にある。つまり、各国の行政システムにEU資金を配分しないで、LAGという地域組織に直接資金を提供し、行政とは違った方法で現場からのアクションを起こす。例えば、行政では難しいリスクの高いプロジェクトにも資金が投入できるし、その判断はLAGに任されている。カンブリアでは1996年からリーダー事業が導入され、地域の40団体によってLAGが組織されている。

フェルズ・アンド・デールズ・リーダーでは「丘陵地農業の再生」を中心テーマとして選択している。そのための調査研究の実施、食文化の再生、地域グループや社会的企業の育成、ツーリズム商品の開発、若手後継者の育成、学校での農業教育など、これまでの10年間で約200近くのプロジェクトを支援している。

さいごに-行政の新たな役割

持続可能な農村再生は、今や先進諸国での共通の政策目標になっている。しかし、どのような農村地域を、どのような方法で再生させるか は、国によって当然異なってくる。農村はその国独特の文化と価値観の中に位置づけられる世界であり、その国の行政システムや国民の意欲に依存する部分が大きいからである。

イギリスの場合は行政主導をでき るだけ排除する形で、農村再生のためのフレームワークが構築されつつある。農村地域の基本方針や戦略は多様な主体の参加による「地域戦略パートナーシップ」が決め、農家やコミュニティが直接アクセスできる資金を用意し、現場のアイデアを成果につなげる専門的な団体を育成す る。政府の補助金も、現場での能力構築やパートナーシップの育成に重点が置かれている。

持続可能な農村再生で課題になるのは、地域内部からのエネルギーや創造力を引き出し、それを長期的に継続させることである。また、異なる地域の多様性や個性的取り組みを支援できる柔軟なアプローチも必要になる。これらの点において、これまでの行政主導型のアプローチでは限界がある。では行政は何をすればいいのか。どのような公的支援の方法が有 効なのか。国と地域のパートナーシップのあり方はどうあるべきか。これらへの解答を探る実験を繰り返しているのが現在のイギリスである。

小山 善彦(おやま よしひこ):1952年福岡県生まれ。英国バーミンガム大学社会政策学部大学院卒業。1987年より在英、現在はバーミンガム大学都市地域研究所客員講師。イギリスの地域再生とグラウンドワーク運動、パートナーシップとガバナンス政策、サード(NPO)セクターの育成策、グ リーンツーリズムなどについて研究活動を行っている。