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森の力で人づくり、地域づくり

印刷用ページを表示する 掲載日:2009年8月24日

作家 浜田 久美子(第2690号・平成21年8月24日)

ささやかな山仕事

素人でも学べる山仕事塾KOA(コーア)森林塾:長野県伊那市に通ったことで、私は長野県の南部に位置する伊那市に縁をもった。現在、東京と伊那を行き来して暮らす二住(にじゅう)生活を始めて10年になる。

塾で学んだ経験は実に大きく、それまでナタを見たことさえなかったのに、ナタ・ノコギリ、チェーンソーに刈払い機などという道具を曲がりなりにも―へっぴり腰で?―使うようになり、半年にわたる厳しい寒さの伊那の冬を薪ストーブで過ごすために少々の山仕事をする。

…こう書くと、リッパなものに聞こえてしまうかもしれないので告白しなければならない。共に塾に通い、すっかり山仕事好きになった夫が仕事をするからこそなんとか私も「山仕事をします」などと言えることを。

しかし、私ができる仕事はささやかなことではあるものの、猫の手ぐらいにはなっている、と自負はしてしまうのだ。一人より二人、二人より三人、と数の威力が発揮されるのは、やはり道具の使い方、やり方、手順、というものを学べたからこそ、 と山仕事をするたびに思う。

私が好きな仕事は、倒した木の枝を払い、さらにその枝葉をナタでこまかく落とすというものだ。伐るのはほとんどアカマツで、ストーブと風呂用の薪にしていく。枝は特に夏場の湧き方の早い時期の風呂用に利用する。倒したときには地面に盛り上がるように存在感を持っていた枝葉が、ナタで葉を落として丸太ン坊にしていくと、林はすっきりとする。のみならず、枝葉をナタですぱっすぱっと落とす繰り返しが、何やら自分の中の余分なものを落としているかのように気分もすっきりする。

そうして、いずれその枝は風呂をわかしてくれる。倒した以上、極力無駄にせずに丸ごといただきます、ありがとうございます、といつもこの森(=山:本文中では森と山は同義で混在して出てきます)にお礼を言わずにいられない。

森の力

山仕事を習うまで、私の森とのつきあいは歩くことだった。あるいは、ただ木に触れて、そこにいること。それで十分だった。木は、驚くほど私にエネルギーをくれる存在だったからだ。それ自体を、当時から私は「森の力」と称していた。

その後山仕事を知るようになり、「森の力」の別な面に出合わせてもらった。歩いていたときとは異なる木との直接的な交歓と言ったらよい か。先の枝払いしかり、草刈りしかり、1つ1つの仕事には、ただ森の手入れという目的だけでなく、私の心にさまざまな働きかけがオマケと してあるのだった。

それを自覚してつくづく思った。

昔、日常的に山から物資をいただいていた時代―1960年代以前―は、確かに日々の山の仕事はからだに負担のかかる大変なものではあっ ただろう。でも、柴だ、草だ、山菜だ、とモノをいただくのみならず、そこでの一仕事は、働く人々の心にも何かをもたらしてくれていたのだと。からだに備わる五感はさまざまなものを感じ、受け取り、また解き放ち、心身を緩めることにつながっ ていたのではないか、と。

もちろん、からだを動かす、という単純な作用はあなどれない。でも、それが、山の中でなされることの恩恵が、大変さと同時にたしかにあったのだと思えてならなかった。

あるから行かない?あるから行く?

暮らしが大きく変わったこの50年ほどの間に、農山村でも多くの人は山に行かなくなったとあちこちで耳にする。それは、私が伊那で暮らしていても感じる。昔はあった必然性がなくなった以上、理由がなければ行かなくなるのは当然のことではある。

身近に山があふれ、田畑が広がっていると、都市住民のような緑に対する飢餓感はわかない。空気のように「あって当たり前」の感覚になり やすい。だから行く気にならないと言われれば、そりゃそうですねぇ…とうなづいてしまう。

だが、一概にそうとも言えない経験をしたことがある。

北欧はスウェーデンに取材に出かけた折、日本よりも森林率、森林面積共に高いかの地の人たちが、日常的に森に入り、森を楽しむ姿を目の当たりにした。会う人会う人、「ふだん森に行きますか?」と聞くと「もちろん!」という答えが返ってきた。

日本にも森が多いこと、でも、今の日本人は日常的に森に行く人は少数であることを話すたびに、「森がそんなにあるのにどうして行かないの?」と何度逆に聞かれたことだろう。とても不思議そうに。そのたびに、答えに窮していた。

空気のように森が当たり前にあるのは、スウェーデンも同じだったからだ。

もちろん違いも多々ある。

何と言っても地形の違いは大きい。平坦な森で入りやすいスウェーデンと、山登りになってしまう日本とでは入る気楽さのハードルは異なる。植生もまた違う。寒冷地でうっそうとなりにくい森と、高温多雨で人を寄せ付けないほど植物が繁茂する森とでは、やはり入りやすさは違う。そして、林業はスウェーデンにとって今も国の基幹産業だ。いたるところで手が入り、120年サイクルで森がつくられ、伐られ、そして新たに森が育てられている。林業で伐採するための森が「フクロウの棲める森(生態系が豊かな指標)」となるように育てる体系をつくりながら。

かようにさまざまな違いがある「から」スウェーデン人は森に日常的に行くのか?空気のように森があり、ありふれているけれど?

正直、その答えはまだ私の中で揺れている。

ただ、彼らが日常的に薪仕事をし、きのこ採りに出かけるだけでなく、とりたてて何をするというのではなくとも森に出かけ、家族で談笑している姿は実にうらやましかった。確実に、子どもたちにもまた森へ行く習慣が身についていくだろう。スウェーデンの森が健やかでいられる背景には、森の力をそのように受け取りつづける人々がいることで成り立つのだと思った。

その循環を取り戻すには、日本でもやはり森に入ることからしか始まらないと思えた。

大人にも間に合う

しかしさて、先述したように「あって当たり前」と空気のように思い、遠目に眺める習慣となりつつある地域で、あらためて森に入る習慣をつくるのは容易ではない。

そんな中、長野県の北部にある信濃町の試みに注目している。


"癒しの森"の看板

信濃町は、森林療法*1をとりいれた「保養の町づくり」をしている。現在全国に31か所認定されている森林セラピー*2基地の最初の認定地の1つという先行性と共に、メディカルトレーナー(MT)*3という役割が重要なポイントになっている。

私が信濃町に惹かれたのは(「森の力.育む、癒す、地域をつくる」岩波新書2008年所収)、「保養の町づくり」が産業づくりと住民の健康づくりというあわせ技で進められる構想と、その背景に「おれたちの財産は森だ」という認識が地域の人にもたれることを願う人たちがいたからだ。

現在もこの活動のリーダーである高力一浩さん(ロッジ経営)らを中心とした森に長年関わる人々の討議と実践の中でこのあわせ技作戦は生まれた。そういう彼らにとって、しかし、地元の大人たちにはもはや森の良さ、大事さは伝わりがたいというあきらめが8年ほど前にはあった。だから、限られた時間は未来を託す子どもたちに注いでいたという。

そんな中で高力さんは森林療法を知る。そのとき「森林療法を使えば大人でも間に合うんじゃないか」と直感した。日ごろは森に足を運ばない住民たちにも、「健康づくり」という形で森に誘える期待。新たな産業となることで、森を見直す可能性。それらがいつか再び「わがふるさとの山」を再認識することにつながると高力さんらは期待したのだ。

核となるメディカルトレーナー

そのためにはいろいろな伏線が仕掛けられたが、私は中でもメディカルトレーナーに注目している。

町民向けのメディカルトレーナー講座は、過去5期まで開催され(本年6期開催予定)140名以上の認定者がいる。ただし、この認定者が そのままメディカルトレーナーとして活動できるというわけではない。救命救急の資格を取り、信濃町森林療法研究会(ひとときの会)の6つの分科会のどれかに所属し継続した勉強を続ける義務を負い、毎年更新の手続きが必要、などハードルが高く設定されている「登録メディカルトレーナー」という存在が現在30数名いる。

森の中でのシンポジウム
森の中でのシンポジウム

簡単に言えば、森林療法の勉強をしただけの人と、実践者として実際に責任をもって第三者(ゲスト)を森にお連れする人、という使い分けをしている形だ。

実際に住民向けイベントや、毎月の健康講座で指導者として活躍したり、個人ゲスト、企業研修や学校の宿泊学習などで森林療法体験を提供したりするのはこの登録メディカルトレーナーだ。しかし、講座を受講するだけの認定メディカルトレーナーも同時にいるのがミソだ。講座 を受講するだけでも「わが町の森再発見」「森の癒し効果新発見」となるからだ。また、直接ゲストを森に連れていく役割をせずとも、その意味がわかっている人がさまざまな分野に増えることは、保養の町づくりとしての層を厚くすることにつながる。

森の案内は、ややもすると自然観察指導、樹木や生き物のおベンキョウになりがちだ。しかし、森林療法ではそれらはさまたげになりかねない。まずゲストに五感で森を味わい、からだが受け取る「感じ」に身をゆだねられる状態をつくることが大事とされる。

森林セラピーでストレッチ
森林セラピーでストレッチ

それは、森そのものに本質的に癒す力がある、という前提があるからだ。森の中ではストレスが緩和される指標のコルチゾールの軽減、血圧 や脈拍などの中庸化、がん細胞抑制に働くNK(ナチュラルキラー)細胞の増加などが有意に高くなることが科学的に検証されてきている。

とはいえ、これらの働きも森に恐怖感や不安感をもって入れば帳消しになってしまう。それゆえ、安心して森に入れる、過ごせる、その条件 づくりが鍵、と高力さんらは考えたのだ。信濃町の登録メディカルトレーナーはその役割のためにいるのだった。メディカルトレーナーは、信濃町独自に研究してきた10種以上の療法(丹田式呼吸、植物療法、作業療法、カウンセリングなどなど)の中から、ゲストの要望を聞いて提供しつつ森を案内するのだ。

「呼ぶ」のではなく「出向く」へ

しかし、認定にせよ、登録にせよ、メディカルトレーナーとなろうとする人は、やはり森に関心が高い人に限られる傾向がある。さらに、町向 けイベントの参加にもその傾向は否めないと信濃町森林療法研究会(ひとときの会)会長鹿島岐子さんは言う。その壁を超える策も続いている。

町民向けに毎月開かれる健康づくり講座には、町立信越病院が重要な役割をもってくれている。毎回ではないが、医師の講演の際に、日々の予防・健康づくりと森との関係、歩くこと、などひとときの会の活動とつながる話が少しあるだけで援護射撃になるという。

森林セラピーでストレッチ
森林セラピーでストレッチ

そして、同病院の総師長。寝たきり予防に町内の各区に出かけひとときの会で推進しているノルディックウォーキング(スキーのストック様の杖を使ってのウォーキング)を町内に広めてくれている。その講師にはもちろんメディカルトレーナーが出かける。

 「5年やってきて思うのは、癒しの森(ひとときの会の活動)に参加してくださる住民の方は、もともと森に関心があったり、お元気な方が多かったりするんです。もっと本当に癒しの森が必要な方たち―お年寄りやなかなかイベントに参加しづらい小さいお子さんをもつ方とか―が参加しやすいのは、日ごろの地区の活動なんですね。でも、メディカルトレーナーだけが出かけていくのでは、人が集まったかどうか。信越病院の総師長さんがいて私たちを推薦してくれる、そこで初めて動くんだと思うですね」と鹿島会長はいう。

すでにあるコミュニティに、地域住民が信頼を寄せる役割の人が音頭をとって後押しをしてくれる、そのことで新しい概念のメディカルト レーナーが受けとめやすくなるという連携。

各地区に出かけるこの効果は、鹿島さんに感慨をもたらした。これまで、イベントに「呼ぶ」体制のときには参加の少なかったお年寄りに自 分たちが「出向く」ことで出会えたことで、お年寄りたちが町を闊歩しだしたのだ。健康づくりという名目で、堂々と闊歩することの爽快感や、 ストックを使うことで腰も少し伸び、歩くみんなの顔つき顔色が俄然違うそうだ。

エール

産業づくりと健康づくり。町外向けと町内向け。二つをあわせる作戦は、バランス感覚が必要になる。が、究極やはり「人」が鍵を握るものだ。人が育たずして町が育つことは、ない。その人づくりに森の力を利用する信濃町がどんな姿になっていくのかを期待しながら応援している。

注釈

*1森林療法…森林環境が心身に及 ぼす影響を利用して医療・福祉・教育分野などに活用するための手法。 森林療法研究は新しく、東京農業大学上原巌准教授が創始

*2森林セラピー…概念は森林療法と大きく変わらないが、森林セラピーは商標登録された言葉。NPO法人森林セラピーソサエティが認定した基地(宿泊施設あり)、ロード(宿泊施設なし)両地域でしか使えない

*3メディカルトレーナー(MT)… 信濃町が独自に育成する人材で、5日間の講座で認定される。文中詳細

浜田先生の写真です 浜田 久美子(はまだ くみこ):1961年東京生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。精神科カウンセラーをへて、木の力に触れたことから森林をテーマにした著述業に転身。森林や木と自分たちの暮らしがつながっている実感が、人にとっては安定を、森にとっては安泰をもたらすという視点から活動。長野に地域の材で家を建て、東京との二住生活実践中。著書に『森をつくる人びと』『木の家三昧』『森のゆくえ』(以上コモンズ)『森がくれる心とからだ~癒されるとき生きるとき』『スウェーデン森と暮らす』(以上全国林業改良普及協会)最新刊は『森の力―育む、癒す、地域をつくる』(岩波新書)