法政大学名誉教授 岡﨑 昌之(第3272号 令和6年3月11日)
年初、しかも元日に能登半島で巨大な地震が発生した。亡くなられた方、被災された方々に、お悔みとお見舞いを申し上げたい。気象庁の推計震度分布図をみると、能登半島全域が震度7から5の激しい地震に襲われたことがはっきりとわかる。
能登半島は日本海側で最大の半島だ。先端の珠洲岬から半島付け根の羽咋市までは、直線で85㎞、道沿いではゆうに100㎞を越える。半島ゆえに急峻な山間部や切り立った海岸沿いに道路が敷かれ、地震直後には土砂崩れや地割れで、42路線87ヵ所が通行止めとなった。半島北西部の沿岸では海底が4mも隆起し、旧門前町黒島地区では、漁港の海底が露出し、海岸線が240mも沖合に移動した。想像を絶する未曾有のことが起きた。
今回の能登では、三方を海に囲まれた半島で強い地震が起きたことが、救援や復旧をより困難にした。半島の付け根で道路の破損が多発し、それ以上奥に進めない。海上からの接近はそもそも難しい。ましてや津波と海底隆起がそれをより困難なものとした。災害発生当初、ボランティアや救援物資の受入れを制限したことが議論を呼んだが、東日本大震災の経験からしても、致し方ないことではなかったか。
能登はかつての日本海流通の主要な中継点であり、金沢や京都、大阪に近く、半島各地に受け継がれてきた伝統文化は目を見張るものがある。今回の地震で大きな被害を受けた旧門前町黒島地区も、北前船による海運で栄え、天領でもあった。船主の屋敷、角海家住宅の蔵には、大量の輪島漆器や長崎から買い付けたギヤマンの食器などが所狭しと所蔵してあった。
夏や秋の祭りには、半島各地の200を越える集落で、高さ10mを超す箱型の灯籠キリコに明かりがともり、住民がそれをかつぎ練り歩く。幾つかの地区では、精緻な彫り物をほどこし、輪島塗で仕上げた巨大な山車もでる。年に一度、キリコをかつぎ、山車を曳くために地元に残る決断をする若者もいる。これらの祭礼を受け継いでいく若者の地域組織は、強い絆で結ばれている。日本の至宝のようなこれらの祭礼と、それを受け継ぐ半島の集落を、何としても維持、存続させたいものだ。キリコの灯を消してはならない。