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我が町をサステナブルに、後世へ繋ぐ

印刷用ページを表示する 掲載日:2024年1月29日

フリーアナウンサー 青山 佳世(第3267号 令和6年1月29日)

 阿蘇を訪れた時、まず初めにご案内いただいたのは「熊本地震震災ミュージアムKIOKU」でした。平成28(2016)年、震度7の地震が2度発生し、大きな被害を出した熊本地震の記憶を留め、経験や教訓を活かして前へ進もうということで、被災した南阿蘇村にある旧東海大学阿蘇キャンパスを残す形で昨年完成しました。復興も進みましたが、この地での大学の再建は難しいことがわかり、多くの学生たちがこの地に戻ることはないそうです。「観光での人の交流は大事だけれど、今はこの町で住む人、働く場が何より必要だよね」という切実な声が印象に残りました。

 この地域の人のつながりは大変強く、災害の時にも近隣からすぐさま応援に駆けつけました。地域の交流や魅力づくりも、まず先に実行しその輪を広げています。

 熊本県と大分県にまたがる有数の観光地である阿蘇くじゅう国立公園、そのカルデラに広がる大草原では古くから牛や馬が放牧されてきました。野焼きは草原の森林化を防ぎ、防虫、萌芽などの目的で1000年続いているという風物詩になっています。阿蘇カルデラの草原は、自然と人々の営みが織りなした世界に類のない美しい風景です。赤牛を育てること、赤牛を食すること、育てる人が暮らすこと、それらが循環して初めて阿蘇の美しい風景を後世に残すことができます。また安全に野焼きを進めるためにも大勢の人が必要です。高齢化も進む中、野焼き支援ボランティアを募って、研修を義務づけた上で参加していただき、阿蘇の草原を守っています。

 熊本県南小国町にある黒川温泉は、小さな山間の温泉地です。20数軒の小さな宿をひとつの旅館として、また小路は旅館をつなぐ廊下に見立て、共通の下駄を履いて温泉街をそぞろ歩き、湯巡りすることができます。1986年から始まった取り組みが、さらに進化して次世代へ引き継がれています。当時始められた植樹活動は、造園でも人工林でもなく、自然に還すための木々であることはよく知られています。大分県から熊本の一連の観光地を結ぶ「やまなみハイウェイ」を通じて、美しい風景を守ろうという活動に広がっています。まちづくりや道づくりの活動で残念に思うことは、自治体境で途切れてしまいがちなことです。道路は自治体の境界線もなくつながっています。2年前から始まったやまなみハイウェイでの一斉清掃活動には、県をまたいで200人以上のボランティアが参加しました。沿道のゴミ拾いに歩いてみると、未だ車からのポイ捨てによる大量のゴミが残されているのです。

 私たち旅する側のモラルも大切なこと、熱い意志で行動しないと美しい風景は次世代につなげないという思いを強くしながら東京に戻ると、渋谷で大きな招き猫の展覧会が行われていました。白と赤の丸いお顔の招き猫です。2年前に制作された作品ですが、ある理由で真っ黒に塗り代えられていました。作者の強い思いから1年をかけて元の姿に修復したそうです。「苦難にあっても、強い思いがあればまた元の姿に戻れます」と。

 元日に発生した能登半島地震で被災された方々や地域に心よりお悔やみとお見舞いを申し上げます。多くの人の強い思いと行動で1日も早く元の姿に戻ってほしいものです。