法政大学名誉教授 岡﨑 昌之(第3260号 令和5年11月13日)
最近、3年ぶり、4年ぶりという言葉をよく聞く。身近な人との集まり、町や村のお祭り、集落の神事、研修会や全国大会まで、やっとできた、やっと会えたと、達成感や嬉しさがあふれる。パソコンの画面越しでは得られない、息づかいや顔色、場の雰囲気を感じながらの会合や交流は、以前は日常であったにも関わらず、新鮮ささえ感じる。新型感染症パンデミックが、5類に移行した2023年5月以降の状況である。
全国に2,500余の登録団体を有する地域づくり団体全国協議会の全国大会は、平成6年から37回の全国大会を各地で開催してきたが、新型感染症のため3年ぶりとなった全国大会を、昨年11月、長崎県で開催することができた。久しぶりの再会に、集まった参加者の盛り上がりは、これまでにないものだった。東日本大震災のときでさえ、規模は縮小したものの、熊本県での全国大会は開催できた。それほどこの新型感染症は、我々の行動に大きな脅威と規制を与えた。
ひるがえって5月以降の状況はどうか。地下鉄や新幹線、繁華街でも、マスク着用者は少数派だ。円安もあってインバウンドも戻ってきた。農山漁村の集落や地域社会を訪れても、子ども会や集落運動会はなくなった、人口減少や高齢化は続くというものの、この新型感染症が何か劇的な変化を農山漁村の集落にもたらしたとは考えにくい。そこには穏やかで永い歴史に裏付けられた、強固な集落や地域社会が息づいている。
20世紀が創り出したものとして、スポーツ、映画、高層ビルがあげられる。いずれも密な人々の集まり、すなわち都市の存在があってのものだ。この都市や都市性を表す言葉としてアーバン urbanがある。調べてみるとurbanには、cityつまり多くの人が集い暮らす場という意味と、もう1つ、都市での暮らし方を示す、丁寧なpoliteとか、洗練されたsophisticatedといった意味合いがある。
今回の新型感染症が与えた警告は、この第二の意味を問いかけたものではなかったか。それは都市、農山漁村を問わず、自分勝手で無責任な暮らしではなく、他に配慮し、丁寧で磨きのかかった暮らし方の模索である。他人の暮らしの場に、無遠慮に足を踏み入れるのではなく、しかし何か事あればすぐに救いの手を差し伸べる、気配りのある暮らしの場の構築こそ問われている。